立教大学でやってきた。10月4日(土)、「ガルシア=マルケスを読む――ガルシア=マルケス受容の来し方行く末」。思ったより聴衆がいて、当初借りていたより大きな教室に移動しての2時間。
ぼくは「ガルシア=マルケスは誰が読んでいたのか――1983年、日本」と題して、83年(前後)に『百年の孤独』を取り込んで気づかれた例と気づかれなかった例を比べて作家たちの『百年の孤独』理解の差を問うた。
気づかれた例とは寺山修司『さらば箱舟』。気づかれなかった例は伊井直行『草のかんむり』。
ここでも何度か書いたとおり、『草のかんむり』は『百年の孤独』を上手く採り入れた小説だ。その採り入れ方、その基にある『百年の孤独』理解を寺山修司による理解との対比で考察したのだった。
こういう話をした以上は、文章化してどこかに発表しておこうと思っている。
ちなみに、1983年というのはガルシア=マルケスがノーベル賞を獲った翌年。
ノーベル文学賞の発表は、もうすぐだ。