ホルヘ・サンヒネス『ウカマウ』(ボリビア、1966)
ボリビア映画史上初の長編だとのこと。サンヒネスにとっても初の長編。ウカマウ集団は、この次の作品からそう名乗るはずだ。そんな区切りの作品が1962年の短編「革命」とともに今回、上映されている。
妻サビナを暴行され殺されたチチカカ湖内太陽の島に住む先住民アンドレスが、犯人のジャガイモ仲買人ロセンド・ラモスに復讐するという物語。
実にエイゼンシュテイン的(『戦艦ポチョムキン』的)なモンタージュの目立つ「革命」の四年後に撮られた『ウカマウ』は、明らかに新たな一歩であることがわかる、そんな造りだ。サビナの葬列の影絵のような構図や、ラモスの騾馬の背に揺られての旅の、まるで西部劇のような絵、全面に湖水を収め、その端を横切る船を描く描き方、最後の決闘の場面などが面白い。決闘のシーンはロングショットとクローズアップを取り混ぜて描くのだが、そのロングショットでの捉え方が実に遠い。近寄った時には、今度は編集のしかたが劇画じみていてはっとさせられる。たぶん、偽闘をカバーするために静止画を挿入しているのだと思う。
ところで、『地下の民』、「革命」、『ウカマウ』のいずれにも棺桶が出ていた。『地下の民』のセバスティアンはラ・パスで小さな棺桶を作っていたのだった。小さなやつだ。たぶん、子供用。「革命」にも小さな棺桶を作る人物が出ていた。サビナは、もちろん、棺桶に入れられ、葬られる。棺桶というものの意味を考えたくなるところ。
同じ要素と言えば、『地下の民』のセバスティアンの妻バシリアも『ウカマウ』のサビナも、髪を梳かすシーンをひとつの見せ場としていた。彼女たちの魅力を見せる場。髪を梳かす先住民女性の魅力と言えば、カルペンティエール『失われた足跡』のロサリオがそうする場面を目撃し、語り手の「私」が彼女は自然と一体化している、と価値づける場面があった。ある種のオリエンタリズムかもしれないけれども、髪を梳かす女のトピック、というのは存在するような気がする。
ウカマウ集団レトロスペクティヴ、まだまだやってます。
ウカマウ集団レトロスペクティヴ、まだまだやってます。