2014年1月17日金曜日

隔靴掻痒

野崎歓『フランス文学と愛』(講談社現代新書、2013)は愛を語るのに17世紀を始点に据え、しかも太陽王ルイ14世の身体性から語り起こしている。そこから演劇(コルネイユらモリエール)に話を移し……

うむ、こういう展開を読んでいると、さすがにジャン=マリー・アポストリデスらの研究の蓄積を頼れるフランス研究ならではだなと思う。同時代のスペインの王、たとえばフェリーペ4世(ベラスケスが絵に描いている)の髭とか、その息子カルロス2世の病弱すぎる身体とかと王制の問題、芸術の問題、なんてのは研究の主題になっているのかな? エル・エスコリアルの分析とか……

ぼくの友人にはこういう論文を書いた者もいる。

ぼくは実はカルペンティエールが事務長となって1953年と56年、57年にカラカスで催した音楽祭のメインの開催地がベージョ・モンテの丘という場所の野外音楽堂であったことを、それがコロンブスが地上の楽園とみなしたその場所だからこそである、ということを主張したいのだが、そうした論を展開するためのどこかに、アポストリデス的研究が参照されなければならないように思っているのだ。

思っているのだが、うまく繫がらないのだ。言えそうで言えない。靴の中の足が痒い。爪が甘い……じゃなかった、詰めが甘い。


うーむ……