2013年11月15日金曜日

1976年、ぼくは中学1年生だった。まだ映画館に入ったことはなかった。

『あまちゃん』は80年代アイドル文化へのノスタルジーを掻き立てて話題になった(らしい)が、坂手洋二が『ここには映画館があった』(燐光群@座・高円寺)で回顧してみせたのはその少し前、1976年だった。『あまちゃん』は小泉今日子と薬師丸ひろ子を対決させてあの時代にノスタルジーを感じる人々の心をくすぐった(らしい)けれども、坂手洋二はジュリアーノ・ジェンマを、つい最近死んだあのマカロニ・ウェスタンのアイドルを、「まだ生きている人」として呼び出して、坂手より一つ年下で、坂手よりもっと田舎に住んでいたぼくの心をくすぐった。

1976年は映画の当たり年だった。岡山の田舎にあっても、街の映画館でその年を享受した彼は、『ロードショー』や『キネマ旬報』に映画評を投稿して掲載されていたらしい。そんな自伝的要素を、マチコ(重田千穂子)、アズサ(岡本舞)、サヨコ(円城寺あや)の客演3人組に投影し、『ハリーとトント』、『JAWS』、『追憶』、『カッコーの巣の上で』、『タクシー・ドライバー』等々、おびただしい数の76年(およびその前後)封切りの映画に言及しながら、理想の映画館をつくる話と、生と死の境というテーマと、沖縄の問題とを絡めた物語を紡いだ。76年を奄美の片田舎にあって、今だ映画館で映画を見ることがなかったけれども、耳学問で暗闇とスクリーンに憧れて過ごしたぼくは、何度も泣きそうになった。

ビブリオフィルが理想の図書館を夢想するように、シネフィルが理想の映画館を夢見るのは当然のこと。当然のこととは思うけれども、実際にはただの映画好きでは理想の映画館を夢見るにはいたらない。中学生のサヨコが中学生の坂手と同様、映画雑誌の懸賞映画評で入選し、その文章が掲載され、映画を見ることが映画を語ることであり、それ自体がひとつの創造なのだと気づくことがなければ、そんな夢を抱くにはいたらないのだ。そして気づいてしまったのだ、円城寺あや演じる中学生のサヨコは。そして自分の文章が読者を呼び、人間関係の環を広げ、遠い沖縄の問題に、沖縄の向こうにあるアメリカの問題に接続されことを知る。こんな中学生の話を前に、泣きそうになるのは当然だろう? 


ゾンビ映画の嚆矢にして日本では実際には公開されなかった『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』をヴェトナム後のアメリカ合衆国の失望の隠喩に転換し、『七人の侍』と自衛隊の成立が同年であることを指摘して論じるなど、言及される映画のそれぞれに対する批評も、唸らせる。