リュドミラ・ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』沼野恭子訳、新潮社
都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』新潮社
山口裕之『映画に学ぶドイツ語:台詞のある風景』東洋書店
ウリツカヤは短編集。「序」の書き出しから一気に引き込まれる。
女のたわいない嘘と男の大がかりな虚言とを同列に並べて考えること、はたしてできるだろうか。男たちは太古の昔から謀めいた建設的な嘘をついてきた。カインの言葉がそのいい例だろう。ところが女たちのつく嘘ときたら、何の意味もないどころえ、何の得にさえならない。(5)
で、次の段落から、オデュセウスとペネロペの対照を持ち出すのだ! この展開がすごいじゃないか。さすがはウリツカヤ。
既に『ソーネチカ』を訳している沼野さんの手腕にうなったのは、ひとつめの短編「ディアナ」もだいぶ冒頭近い一文、「二週間目に入ったある日の昼どき、家の前にタクシーが止まり、中から人がわさわさと降りてきた」(13)。「わさわさ」だ。参った。ぼくがこれまで使い得なかった副詞だ。こういうのを見ると、唸ってしまうのだな。
都甲さんの著書は、基本的には『新潮』に連載の、未訳(掲載当時)の小説を紹介するコーナーをまとめたもの。これに書き下ろしのコラムとジュノ・ディアスの短編「ブラの信条(プリンシプル)」(カッコ内はルビ)を『オスカー・ワオ』のときの共訳者・久保尚美とまたも共訳で訳したものを加えている。連載時、ボラーニョの『アメリカのナチ文学』を紹介した回などはどこかでぼくも反応したと思う。
これもまだ途中だが、ともかく、ディアスの短編は目玉のひとつ。これが面白い。ラファというプレイボーイで乱暴で、ガン患者の兄を、マリファナ漬けの高校生の弟ユニオールが回想するという形式。ブラという名前のインド系プエルトリコ人と結婚して家を出て、戻ってくるまでの話が中心だ。
ディアス自身が、去年来日の際に、兄はプレイボーイで自分は冴えない弟だったというような回想をしていたけれども、そうした自身の家族のあり方から想像力をふくらませて書いた短編だろう。むせ返るような合衆国ラティーノ家庭の雰囲気が伝わってくる。
山口さんの著書はぼくの『映画に学ぶスペイン語』に続くこのシリーズ第4弾(だと思う)。東洋書店のサイトによると、「日独交流150周年記念刊行」なのだそうだ。スペイン語と違うところは、ひとつの映画につき2箇所のセリフを解説しており、したがって一本についてのページ数も4ページでなく6ページと増えているところ。名作揃いの30本。うーむ。どのページを読んでも、ぼくなどより落ち着いた解説がなされているように思える。勉強になる。