ダニエル・アラルコン『ロスト・シティ・レディオ』藤井光訳(新潮社)
(藤井光の仕事ぶりは凄まじい!)
ダン・コッペル『バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命』黒川由美訳(太田出版)
(バナナ好きだから買ったのではない)
オルハム・パムク『わたしの名は赤〔新訳版〕』上下、宮下遼訳(ハヤカワepi文庫)
(『わたしの名は「紅」』だった。「 」が取れただけでもすばらしい)
そして何と言っても、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』上下、高見浩訳(新潮文庫)。
(以前は一巻本だったと思う。活字を大きくして2巻に。新版だ)
これは映画を最初に見た。メキシコにいるときで、休みを利用してやって来た友人が、飛行機の中で読むために買った原作本翻訳を借り、ひと晩で読んだのだった。そして、原作より映画の方が面白いと思った。その理由はいくつかあるが、最後のページが特に、そうだと思ったのだ。このページを映画で再現しなかっただけでも、映画は成功だと思った。そのことをある授業で話すために、読み返そうと思って、買った。最後のページとは:
はるか東のチェサピークの岸辺、古い大きな家の上の澄んだ夜空の高みに、オリオン座がかかっている。その家の一室では翌朝までもたせるべく暖炉の火に灰がかけられ、その埋もれ火の光は屋根の煙突を撫でる風の強弱に応じてかすかに揺れている。大きなベッドは幾重にも重なったキルトに覆われ、その上と下に数頭の大きな犬が横たわっている。それに加えて寝具の下で盛り上がっているふくらみはノーブル・ピルチャーなのかどうか、淡い光の下では見定めがたい。が、枕の下の顔、暖炉の光で薔薇色に輝いている顔は、クラリス・スターリングのそれにちがいなく、彼女は子羊たちの沈黙に包まれて、いま、深く甘美な眠りに落ちている。(下、320)
あれ? こんなんだっけ? ぼくの記憶の中では、暖炉の赤々と燃える火を背後にクラリスが蝶博士ピルチャーとセックスしているという記述だったように思ったのだけどな? それでぼくはアホか! と叫んだのだけどな。そこまでひどくはなかったな。
でもまあ、この終わり方、これを問題にしたいのだ。
この前のページもなかなか考えさせられる。レクター博士がクラリスに手紙を書いているのだ。映画では電話をかけていた。この処理(もっぱら映画の側の、ということ)はすばらしい。
ちなみに、写真で本の間に渡した万年筆は、サイズを示すための指標。