2011年1月9日日曜日

やれやれ、知性って難しい

ある人のサイトからこんなリンクに飛んだ: ウィキペディアの「トルティーヤ」の項目

トルティーヤ(tortilla: トルティーリャ、トルティージャ)はいわばタコスの皮。これがスペインのジャガイモを使った卵料理と同名で、ウィキペディアでは後者を「トルティージャ」としているのだが、この名称についての説明の項。「スペイン人が見たときに本国のオムレツ風の鶏卵料理トルティージャと似ていることから、この名前で呼ぶようになった」だと。まったく、ふざけてもらっては困る。

誰もが知っているように、ジャガイモはアメリカ原産だ。そして、前にも書いたとおり、ジャガイモがヨーロッパに根づくのはせいぜい18世紀。スペイン人たちがアメリカ大陸にやって来た時(1492と考えても1521と考えてもいい)、少なくとも今の形のトルティーリャがスペインにあったはずがないのだ。このウィキペディアの断言は、したがって、歴史的転倒だ。

もちろん、当時のスペインにはトルティーリャと称されるものはあった。だからその名がついた。18世紀の辞書Diccionario de Autoridadesにはもう既に「卵料理」の定義はあるけれども(ジャガイモを使うとは書いていない)、tortaの小さいの、という原理的な意味も登録されていて、tortaとはいくつかの意味があるが、とりわけ焼く前のパンのこととなっている。16世紀の辞書Covarrubias, Tesoro de la lengua castellana o española には、tortaは「平たいパン」の定義しか登録されていない。考えられることは、この最後の意味に縮小辞-illaがくっついたのがtortillaの名称のもとになったということだ。

まったくもって日本語版ウィキペディアのスペイン語圏に関係する項目の記述にはいつも腹立つばかりだ。いっそのこと英語版スペイン語版をそのまま訳してくれた方がどれだけましか。トルティーリャだって、この両言語版はしっかりしている。

こんなふざけた文章が氾濫する現在(誤解しないでいただきたいが、ぼくはネット上の文章ばかりを責めようとしているわけではない。活字にだってこんなものはごまんとある)、読者としてのぼくたちは、この記事がでたらめであることに気づく知性を持たなければやっていられない。たとえジャガイモがアメリカ原産であることを知らなくても、「トルティージャに似ていることから、この名前で呼ぶようになった」との記述を読んだ瞬間に、たとえば、その卵料理のスペイン風トルティーリャは果たして15、16世紀からあったのか、と疑問を持つ感性がなければならない。この感性のことを知性と呼ぶのだ。

ウィキペディアの当該記事、少し下の方、「ベルナルディーノ・デ・サアグン (Bernardino de Sahagún) が、著書の『ヌエバ・エスパーニャ綜覧』 (Historia general de las cosas de Nueva España) 内で、当時のアステカ人の食生活を詳しく供述しており、大きさ、厚さ、食感、色などの違いからそれぞれ別名で呼ばれていた多種多様な「トルティーヤ」が存在していたことが窺える」の記述が見出される。この文章の最後には注がついていて、その注には「Benitez, Ana M. de. Pre-hispanic cooking/Cocina Prehispanica. Mexico City, Ediciones Euroamerica Klaus Thiele, 1976, p.p. 37-39.」と記されているのを見たとき、なぜ孫引きなのか? なぜサアグンに当たらないのか? 孫引きなのになぜそれを明記しないのか? と疑問を持たなければならない。ここにはこんな記述と注があるのに、例の「名称」の項にサアグンへの言及がないのはなぜか、と追求する姿勢がなければならないのだろう。一方で、こうした記事を書く側としては、逆に孫引きでなく、サアグンに当たるだけの準備がなければならないのだろう。

ところでぼくは、サアグンはちゃんと読んでいないが、、ベルナル・ディアス・デル・カスティーリョには「玉蜀黍の粉を捏ねて作った生のパン」(mazamorra: 訳は小林一宏。92章)や「トルティーリャ」(pan de tortilla: 91章)の記述が見られることは知っている。だってそれらを基に征服直前のテノチティトラン(現メキシコ市)の様子を再現したアルフォンソ・レイェスの名作『アナワクの眺め(1519)』の翻訳者だから。