2011年1月4日火曜日

酒づけの日々

デジカメの映像をメモリがいっぱいになるまで溜めておく人がいる。ぼくはそれがいやで、比較的まめにPCに移す。ふだん使っているWindowsマシンやMac Book ProにはSDメモリカードスロットがあるので、それで読み込む。今回、この旅にはそのスロットのないMac Book Airを持ってきているので、カードリーダーも併せて持ってきた。

ところが、これが機能しない。今回の旅の主要な目的のひとつは、老母に地上派デジタル放送対応のTV受像器を買うことだったので、買いにいったついでにカードリーダーも買ってみた。しかし、これも機能しない。結論としてMac Book Air はカードリーダーを認識しないと言える。

ところで、老母はテレビばかり観ている。今では年金だけで暮らしているが、仕事をしているときからそうだ。

機(はた)を織るのが仕事だった。大島紬だ。それはかつてマニュファクチュアというのか、工場(こうば)に織工が集っておこなう仕事だった。性役割分担がはっきりしていて、この仕事をおこなうのは女だけに限られていた。女たちはおしゃべりしながら機を織っていたが、何よりもラジオを聴きながら仕事をしていた。単純労働の無聊の慰みだ。19世紀キューバの葉巻工場などでは朗読係がいて、バルザックやデュマの小説を読んだりして単純労働者の耳を楽しませていた(ビセンテ・アランダの映画『カルメン』でもカルメンの働く葉巻工場に朗読係がいたな)ものだが、そんな歴史的事実を思い出す。

やがて工場が解体し、人々は自宅で機を織るようになった。母は織機の傍らにラジオを置いて機を織っていた。

それが、いつごろからだろう、TVをつけっぱなしにして仕事をするようになった。たまに手を休めて画面を見、でも大抵は音だけを聞いて楽しんでいた。朝8時くらいから夜8時くらいまで仕事をしていたけれども、その間、つけっぱなしだ。仕事を終えてからは娯楽としてテレビを見た。そのせいで大抵の雑音は気にせずやりたいことがやれる人物に育ったぼくが、でもほとんどテレビを見ないのはこういう生活に対する反動かもしれない。

そんな、おそらく日本で1番長い時間テレビを見ている母が、元日の夜、おかしなことを言った。何度かここにも書いているしツイッターにも書いているが、NHKのアナウンサーになった教え子がいて、その彼女が『着信御礼! ケータイ大喜利』という番組に出ることを2ちゃんねるで見て知った(自分で企画したレポートが全国放送に乗るときには教えてくれるのだが、こういうものの時には教えてくれないのだ。そういう矜恃をぼくはとても高く評価したい)ぼくが、母にチャンネルを変えてくれるように頼んで、一緒にその番組を見たのだった。深夜だったので、母は途中で立って寝に行ったのだが、去り際にひと言:

お前の大学にもちゃんとした美人がいたのだね。

うーむ。ぼくの勤務する東京外国語大学は70%以上が女子学生というほとんど女子大みたいな大学だが、果たして老母はこの大学にたいしてどんなイメージを抱いているのか? 母よ、あなたは……