2010年9月16日木曜日

雨男が色男を論じる

つくづくと雨男だと思う。今日は静岡は終日雨。時にはどしゃ降り。時には小降り。

モリエールの『ドン・ジュアン』の面白さは、ドン・ジュアンと従者スガナレルの契約関係の面白さ(封建的主従関係でなく)もともかく、シャルロットとマチュリーヌの二人の漁村の女が鉢合わせする、いわゆる修羅場のシーンにある。そこで、ドン・ジュアンの女たちに対する言葉による支配のしかたが明らかとなる。ドン・ジュアンのあくどさと巧みさが光るシーンだ。シャルロットの婚約者ピエロのことはびんたで(つまり暴力で)支配し、女たち二人からは発話の機会を巧みに奪い、互いのコミュニケーションを断ち、自らの論理で説き伏せる。うーむ、策士だ。

一方、ホセ・ソリーリャ『ドン・フワン・テノーリオ』の面白さは、ドニャ・イネスを外堀を固めながら口説くその策略(イネスが付き人ブリヒダの囁く流言に恋をする)とそれに自分自身ではまってしまってイネスへの恋心を抱くにいたるドン・フワンの動揺ぶりだ。ふたりとも言葉に恋をしてしまっている。

てな話を必ずしもしたわけではない。重点は少しずれた。でもともかく、ソリーリャのドン・フワンがロマン主義的だと言われるのは、イネスの愛によって魂が救済されるからではない。ここでふたりが言葉を通じて恋に落ちているからだと言うべきだろうと思う。

1日5コマはさすがに疲れる。