2010年9月10日金曜日

64/65年の断絶

あるところに短い原稿を書いて送った。それがどこかは、後ほど告知する。で、それに関係して、ある2本、ないし3本の映画を観た。原稿には2行ほどしか反映させられなかったけど、本当は200行、いや2000行でも書きたいくらい色々と考えるところがあった。そのことをさわりだけ。

観た映画は:
ロベルト・ガバルドン『黄金の鶏』El gallo de oro(1964)
と;
アルトゥーロ・リプステイン『死の時』Tiempo de morir(1965)

この2本は、連続した年、実に短い期間に連続して撮られていながら、間に大きな断絶を横たえている。

しかもこの2本、いずれもメキシコに移住して間もないガブリエル・ガルシア=マルケスが関係した作品だ。前者はフアン・ルルフォが書いた中編小説をガルシア=マルケスとカルロス・フエンテス、それに監督のガバルドンが脚色したもの。後者はガルシア=マルケス自身の原案を彼とフエンテスが脚色したもの。

『死の時』の方は以前、メキシコのフィルムライブラリーで観たことがあった。『黄金の鶏』は、実は、初見。この作品、後者の監督、リプステインによって、ほぼ20年後の1985年、新たな脚本でリメイクされている。タイトルは『財宝の帝国』El imperio de la fortuna。ただし、日本では『黄金の鶏』として(確かフェスティヴァルで)上映されている。これは見たことがあった。でも今回、改めて見直した。「ないし3本」とはそういう意味。

さて、『黄金の鶏』。これはランチェーラComedia rancheraと呼ばれる、いかにもメキシコ的なメキシコの国民映画、当時、凋落の一途を辿っていたそのジャンルの雰囲気たっぷりで、まあ確かに随所におもしろいところはあるし、名作の誉れ高いものではあるが、やはりどう見たって凋落の途にある映画。そして『死の時』の方は、今回改めて気づいたのだが、当時まだ22歳という若いリプステインの野心に充ちた、同時代のマカロニ・ウエスタンのテイストたっぷりの実にかっこいい作品だ。原作者のルルフォとガルシア=マルケスの違いではない。ウェスタン(というか、マカロニ・ウエスタン)など、概要だけ話してしまえば典型的なランチェーラと変わりない内容だ。ハリウッドのウエスタンをマカロニ・ウエスタンが刷新したように、『死の時』はマカロニ・ウエスタン的視点からランチェーラに新たな光を当てたのだ。製作体制や監督の作家性の違いに他ならないのだ。

ここに当時のメキシコ映画の潮流とか、先日書いたチュルブスコ・スタジオのこと(『黄金の鶏』はまさにチュルブスコで撮った)、65年という年がガルシア=マルケスが『百年の孤独』についての啓示を得て書き始めた年であることなどを書けば、容易に200行、いや2000行に達しそうだろう? ……ま、きっとそのためにはもう少し勉強が必要なのだろうけど。

ちゃんとこつこつと書きためて行こう。