ラベル 映画、舞台芸術、読書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画、舞台芸術、読書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年11月8日木曜日

子供欲しい?


友人のツイッターで今日までだということを知ったので、仕事の打ち合わせを終えて吉祥寺まで出向き、観てきた。


いわずとしれたフェデリコ・ガルシア=ロルカの『イェルマ』をサイモン・ストーンの演出(脚色もか?)でヤング・ヴィック劇場で上演したものを映画としてみせるもの。通常の映画料金よりは演劇の料金に近い額での提供であった。

子供のできない女性の苦悩を描いているのはガルシア=ロルカの作品どおりなのだが、舞台を現在のロンドンに移し、うまく脚色した。ロルカ的カトリック=スペイン=地中海=アンダルシア的閉塞感に変わって、SNSやら不妊治療、ローンなどが主人公「彼女」(ビリー・パイパー)の精神を追い詰めていく。うまいアダプテーションだ。演技も素晴らしい。ガラス張りの舞台を前後から観られるようにした会場のレイアウトもなかなか。

渋谷から吉祥寺に向かう途中、井の頭線の向こう側の車両から4-5歳くらいの女の子が楽しそうに手を振ってきたので、僕も満面の笑みをたたえて手を振り返した。子供はかわいい。子供が欲しい。その気持ちは分からないでもない。でもまあ、僕はそうでもないのだが……

ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』中山エツコ訳(河出文庫)とその親本(2016年刊)

2018年8月29日水曜日

地獄とは他者である


タイトルにあるサルトルの有名な台詞は『出口なし』(1943)のクライマックスの一文だ。

シス・カンパニーによるその『出口なし』(演出・上演台本 小川絵梨子)@新国立劇場小劇場 を観てきたのが26日(日)のこと。

27日にはBSで『アリスのままで』(2014)を観た。

武田珂代子『太平洋戦争日本語諜報戦――言語官の活躍と試練』(ちくま新書、2018)はタイトル通り、太平洋戦争で米側、日本側で言語官、すなわち、場合によっては諜報部員として働いた日系アメリカ人二世の話に始まり、それぞれの国が大学などを通じてどのようにその要員を訓練し動員したかという検証をする。通訳・翻訳論が単なる言語の問題ではなく、国際関係、戦争論、植民地主義などの問題であることを明確に示してくれる。