2021年8月13日金曜日

Reculez, reculez, reculez!

昨日届いたのが、これ。




映画オーレル監督『ジュゼップ 戦場の画家』(フランス、スペイン、ベルギー、2020)劇場用パンフレット(左)。ここに「ジュゼップ・バルトリのRetirada」(pp.12-3)という見開きの文章を書いている。


ジュゼップ・バルトリはバルセローナのイラストレーターで、バルセローナ職業イラストレーター組合の設立メンバーのひとり。UGTに繋がる組織なので、共和派だ。それで内戦後フランスに逃れ、フランスでの収容所体験を経てアメリカ大陸に渡った。フリーダ・カーロとも関係を持ったことで、フリーダ側の資料でその名は確認できると思う(たとえば、最近のものでは、マリア・ヘッセ『わたしはフリーダ・カーロ――絵でたどるその人生』宇野和美訳、花伝社、2020、p.87)。ヘッセのこの書ではふたりはアメリカ(合衆国)で出会ったことになっているし、事実そうだと思うのだが、映画内ではメキシコで二人でコヨアカンの「青い家」を青く塗ったりしている。それはまあフィクションとしての虚飾。なんらこの映画の価値を貶めるものではない。


さて、このジュゼップ・バルトリ、フランスに逃げた際に、多くの人同様、アルジェレス=シュル=メールの収容所を手始めに、いくつかの収容所を転々とし、アメリカに渡った。収容所にいる間に、彼が描いたイラストがたくさんあって、それをまとめた本が、上の写真で隣に映っている La retirada: Exode et exil des républicains d’Espagne (Actes Sud BD, 2009). 監督のオーレルもこれに触れたのが発想の始まりだったと述べている。映画も大半は収容所での暮らしの悲惨をひたすら絵に描くジュゼップの姿と、その彼が描いたイラストとで構成されている。


ところで、今回の文章、泣く泣く割愛したものがある。まず、図版2点。La retirada の書影と、バルトリの描いたポスター画2点を図版として載せたかったのだが、叶わなかった。パンフレットはパンフレットで映画関連の図版がたっぷりなので、まあ僕の図版がなくても充分楽しめる。本の表紙に載った傷病兵のイラストはパンフのp.11(僕の文章の直前)にも出ているので問題ない。


要するにジュゼップ・バルトリのポスターの図版を俺は持ってるぞ、と示したかったのだが、それが叶わなかったので、ここに引用しておこう。 Jordi Carulla & Arnau Carrulla, La Guerra Civil en 2000 carteles, Postermil, S. L., 1997, II-p.190



もうひとつ割愛したのは、字数の問題から。かつて僕の訳したアレホ・カルペンティエール『春の祭典』(国書刊行会、2001)でのアルジェレスの収容所の描写。主人公の友人(国際旅団での戦友)ガスパル・ブランコが収容所に入れられた話を主人公に語るシーンだ。


国境を通過すると、一場の情景には数名のセネガル人が銃床を高く掲げ、 “reculez, reculez, reculez” (「後退、後退、後退」)という声に合わせて入場し、逃走兵たちの一人たりとも、わずかなりとも道を外れさせまいと、傷つきぼろをまとった、虐げられた者たちを統率し、アルジェレス=シュル=メールの忌まわしい強制収容所に導いて行った。そこでは砂に掘った穴の中で眠らなければならなかったという。食事は一日に捕虜四人につき鰯の缶詰一個だった。三重に巻かれた有刺鉄線。そして便所もなければそれに代わる場所もなかったので、人々は砂浜で、海水を汚さないように引き潮をうまく利用して、用を足さなければならなかった。しかし、事態はまったく逆で――とガスパルは語る――、日々広がり、厚みを増し、悪臭芬々としてゆく糞尿まみれの海の鼻先で暮らす羽目になったのだ。程なくして蚤、虱、疥癬の大量発生が始まる。そして赤痢、嘔吐、発熱がやって来る。(240)(今では「後退」でなく「撤退」と訳した方がよかったかなと思う――訳者兼引用者注)


ジュゼップもまたセネガル人兵士に導かれていたし、僕は映画を観ながら、カルペンティエールのこの一節を思い出していたのだ。が、さすがにこんなに長い引用はできなかった。なので、ここで、お披露目。