就寝前に本なんか読んだら、ついつい先を読みたくなって読み終えるまで眠れない、てな随筆を書いたのは誰だっただろうか? まあ、誰でもあり得るだろうけど。
昨日、敗戦の日に届き、結局またその日のうちに(正確には日を跨ぐことになったのだが、感覚としてはその日のうちに)読んだのが、以下。結果として敗戦の日たる昨日読まれることを待っていた小説だった:
アキラ・ミズバヤシ『壊れた魂』水林章訳(みすず書房、2021)
水林章さんは外語大時代の同僚(というか、僕が博士に入学したころ新任として異動してきたばかりで、僕の面接官でもあった人なのだが。だから水林先生、なのだが)で、その後上智に転任、転任後、2010年代には続けざまにフランスでガリマールから小説を発表している。それがアキラ・ミズバヤシ。その彼の今のところの最新の小説(2019年刊)の自己翻訳が、これ。「訳者あとがき」もついているし、巻末には著者アキラ・ミズバヤシと訳者水林章の略歴が別々に書いてある! 2020年には読者大賞みたいな賞(?)を始め、いくつかの賞を獲ったらしい。原書のオビに喧伝している。映画化の話もあるという。
物語は1938年に始まる。交戦中の中国からの留学生たちと弦楽四重奏団を組みシューベルトのカルテット十三番「ロザムンデ」を練習していた英語教師(でアマチュアの音楽愛好家)水澤悠は留学生たちともども憲兵隊に連行される。彼の妻は早くに死んでいたので11歳の息子・礼もその場にいたのだが、軍人たちの突入直前にその場にあったタンスの中に隠れていて助かる。天涯孤独の身になった少年水澤礼が家に帰り着くとその日父を訪ねる予定だった知人のジャーナリスト(父のフランス語の個人教師)フィリップがやって来る。
フィリップの養子となった礼はヴァイオリンやヴィオラなどの弦楽器職人となり、パリで暮らしている。既に老境を迎えた2010年代の話だ。パートナーの弓職人エレーヌが、ミドリ・ヤマザキという名の若い日本人女性ヴァイオリニストの存在を知らせる。実は彼女が睨んだとおりその山崎美都理は礼が会うべき人物で、そこから一気に礼の失われた日々と断片的だったその日の記憶が回収されていく。
「訳者あとがき」にも開陳されているとおり、強固な反戦の意図に貫かれたものだからこそ、昨日読まれてしかるべきだったということだ。が、やはりそこはあくまでも自己翻訳による翻訳小説としてのあり方が気になるところ。フランス語で書かれた小説であるから、日本の出来事や風習の細部に関して説明的な箇所があるのは当然なのだが、それをあえてそのまま訳すなどして、これがあくまでも翻訳小説であることを意識させる。たとえば、「有名な昔話に、善良な男に救われた鶴が美しい女性に変身してお礼にくるというのがあるが、……」(219ページ)などという一節があるが、これなど、自然な(?)翻訳作品なら「鶴の恩返しのおつうよろしく……」など簡単にすませられそうなところ。それをあえて現状のように残しているところが、一種の戦略なのかもしれない。
実際、水澤礼が38年のその日、壊されてしまった父のヴァイオリンを抱えたままフランスに渡るという話であるこの小説は、中心のプロットはそのように楽器の命運の物語に違いないのだが、礼少年がその日読んでいた吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もまた一生をかけて読み続けるというはなしでもあり、それはつまり、翻訳の行為に違いないのだ。
そういえばこのタイトル『壊れた魂』Âme brisée の「魂」âme とは、ヴァイオリンの表板と裏板を支える柱(魂柱)の意味でもある。ダブル・ミーニングの翻訳者泣かせのタイトルでもあるのだ。
犬も実は重要な存在である。独りになり家に帰り着いた少年の礼が、帰途、柴犬と巡り会うエピソードがあり、その後も犬が彼の人生の重要なパートナーとなるのだが、それとの交流がまた水林さんの特長。今は閉鎖されている自身のサイトで、かつて飼い犬メロディーMélodieへの愛をつづっていたが、その犬が死んだのかな? 何かのおりにその名をそのままつかった作品も発表している。Mélodie: chronique d’une passion (Gallimard, 2013) 。
夜更かしして遅く起きた今朝、髭を剃るために鏡を覗くと目が腫れぼったい感じであった。きっと昨夜泣いたせいなのだろう。僕の部屋に流れている「ロザムンデ」はあと5分くらいで最終楽章が終わる。