『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(スペイン、ベルギー、フランス、イギリス、ポルトガル、2018)
かつてテリー・ギリアムが『ドン・キホーテ』を撮ろうとして挫折したさまを扱ったドキュメンタリー『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を観、そのドキュメンタリーというか変形メイキングは面白いものの、ギリアムが考えている『ドン・キホーテ』はあまり面白くなさそうだなと思った記憶がある。正確にはどんなものを想像したのか知らないけれども。
で、あまり期待せずに見に行ったのだが、これが実に面白かった。
ラ・マンチャ地方で『ドン・キホーテ』をベースにしたCMを撮影中のトビー(アダム・ドライバー)が、その先の進行に悩んでいたところ、偶然、学生時代の卒業制作に撮った自身の『ドン・キホーテ』のDVDを見つける。そこで主人公のキホーテを演じた靴職人ハビエル(ジョナサン・プライス)を訪ねていったところ、彼は自身をドン・キホーテだと思い込み、姪(たぶん)に監禁されていた。ハビエルはトビーをサンチョ・パンサと認識し、いろいろとゴタゴタがあって、かくしてドン・キホーテの新たな旅が始まった。
つまり、原題を The Man Who Killed Don Quixote というこの映画は、外の枠組みはもちろん現代の映画監督が引きずり込まれるゴタゴタではあるのだが、彼が引きずり込まれるそのゴタゴタした世界は『ドン・キホーテ』後編の世界なのである。もちろん、風車のエピソードなどの前編のエピソードも取り込まれてはいるが、銀月の騎士は出てくるし、既に『ドン・キホーテ』前編を読んでいる公爵夫人に似た存在、木馬クラビレーニョの冒険などが主に使われている。そしてドン・キホーテは最後に正気に戻る。
つまり一種メタフィクション的な構造を持つ後編だからこそ、現代と過去、映画の世界と文学の世界を交錯させるのに適しているのだ。ドン・キホーテ主従が出会った「公爵夫人」(原作の公爵夫人に当たる人物)一行は、トビーを探していたスポンサーの情婦(ということだと思う。オルガ・キュリレンコだ)が、ロシアのウォトカ王アレクセイ(ジョルディ・モリャ)の城で開かれる聖週間の仮装パーティーに向か途中だったという具合だ。
そのせいか、だいぶ前半、アダム・ドライバーがバイクを駆ってカスティーリャの台地を疾走するロングショットは、数々のマカロニウエスタンやペドロ・アルモドバルの映画(たとえば『トーク・トゥ・ハー』)を思い出さないではいられない。
トビー役は当初、ジョニー・デップが予定されていたのだが、アダム・ドライバーでよかったんじゃないかな。
池袋に巨人=風車を見た。焼却炉の煙突だけど。光が面白い。