2019年12月16日月曜日

Que en paz descansen


アンナ・カリーナが死んだ。

その前日には柴田駿の死の報が流れた。元フランス映画社の社主だ。アンナ・カリーナの紹介者と言えば言える人だ。

1993年にビクトル・エリセが『マルメロの陽光』のプロモーションで来日した際に、通訳として一週間ほど貼りついたことがある。もちろん、招待主は配給会社であり、配給会社とはフランス映画社だった。柴田さんと、当時まだ存命だった川喜多和子さん。

川喜多さんはもちろんのこと、朴訥な感じ……というか、日本語でしゃべるときの照れたような感じそのままにフランス語をしゃべる(エリセはフランス語がしゃべれるので、彼らはこの言語で会話していた)この人が僕が愛したゴダールやジャームッシュ、エリセらを紹介し、僕の映画趣味の形成を決定づけた人物だと思うと、なんだか不思議な気がした。外語大のフランス語学科の出身で、つまりいわば同窓の先輩ということになることもあり、優しくしていただいた。

蓮實重彦や映画記者などを招いてご自宅でパーティーを開いた時にも呼んでいただいた。広いリビングのすてきな家だった。その後すぐになくなった川喜多さんの追悼文で淀川長治が書いていたけれども、その自宅、まるでその種のパーティーのために作られたかのようだったのだ。夫婦が住むためというよりは。

数年前にフランス映画社は倒産したし、川喜多和子さんもエリセの来日の直後に亡くなった。誰かが柴田さんは「孤独に貧しく」亡くなったと書いていた。そうなのだろうか? あの広尾の家ももう手放していたのだろうか? 

柴田さんの訃報を聞いたおととい、14日はキューバのドキュメンタリー作家サンティアーゴ・アルバレスの上映会を観に行っていた。ゴダールらとも親好があった人だ。クリス・マルケルが彼のフッテージを大いに利用した作品を撮っている。実に面白い。ニクソンの写真に合わせてオペラを流すなど、傑作だ。その「ニクソンのドラマ」では題字のNixonxの文字が鍵十字になっているなど、カリグラフィーやグラフィックにも目を見張るべき箇所が満載だった。

こんなものをお土産にもらった。