斎藤美奈子『日本の同時代小説』(岩波新書、2018)は中村光夫の『日本の近代小説』や『日本の現代小説』の後継を目指した、一九六〇年代以降に発表された代表的小説のパノラマを描くガイドブック。私小説とプロレタリア小説の発展の先にタレント本などを配置して、そのまとめ方が鮮やかで、唸らされる。個々の作品の掘り下げた分析とまとまった引用がない(短い引用ならある)のは、ガイドブックである以上は仕方のないことだ。何より、挙げられた小説の多くは、たとえ読んではいなくても、概要は目に(耳に)したことのあるものが多いのだから、やはり、そのまとめ方の手並みに唸るというタイプの本なのだろう。
たとえば、『されどわれらが日々――』と『赤頭巾ちゃん気をつけて』がインテリがいかに生くべきかとの問題が潰えるのが六〇年代だとした議論に続けて、七〇年代を論じながら『青春の門・自立篇』を解説する斎藤は、次のようにまとめる。
『青春の門・自立篇』の舞台は一九五五年、貧乏と格闘する一方、何人もの女の子と関係を持つ伊吹信介は、とても『されど、われらが日々――』と同じ時代の大学生とは思えません。朝から晩まで発情している『青葉繁れる』の高校生たちはふざけた連中ですが、四年前に出版された『赤頭巾ちゃん気をつけて』と並べて読むことで、はじめてその意図がクリアになる。タイトルに埋め込まれた「赤」と「青」の対比も含め、「男子高校生の考えていることなんて、一皮剝けば、みんなこんなもんだべ」という批評性、ないしは敵愾心がそこには込められている。ヤワなインテリが担ってきた明治以来の青春小説の伝統は、つまり、七〇年代にはとっくに過去の遺物と化しつつあったのです。(73-74ページ)
ふむ。そういえば、三浦雅士は「青春」が終わったのは一九七〇年だと言ったのだった。実際の「青春小説」は七〇年代にむしろ増殖するのだが、それはもう既に「青春」ではなくなった青春小説なのだな。