マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』金子遊、井上里、水野友美子訳(水声社、2016)の刊行を記念した催し。色々と面白い本なので、聴きに行ったのだ。
質疑応答の時間になって、指名を受けてしまった。タウシグのフィールドがコロンビアだったし、この本の中にもコロンビアのことが書かれているし。で、管さんが「コロンビアに行ったことある?」と訊いてきたので、そのまま第2章「アメリカの構築」についての質問をした。
……が、違うのだ。そんなことを言いたかったのではない。僕は第1章の表題作「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」についてコメントすべきだったのだ。それがもたらしたある種の出会いを……
「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」は、ベンヤミンが自殺したフランスとスペインの国境の町ポルト・ボウでのベンヤミンの墓を訪れた人たちの話だ。墓を見出せなかったけれどもそこにある種の感動を覚えたハンナ・アーレント、偽の墓を見つけて憤ったゲルショム・ショーレムのことなる2つの立場を説き、自分自身が同じ場所を訪れて記念碑を見出すストーリーを添えたこのテクストによく似た体験(他人の体験)を僕はつい最近、目撃したのだった。
地主麻衣子のヴィディオ・インスタレーション「遠いデュエット」をトーキョーワンダーサイト本郷に見に行ったのだ。地主は当初からのロベルト・ボラーニョのファンで、『2666』の朗読パフォーマンスを行ったりしていたアーティスト。その彼女が2015年にスペインに滞在し、撮ったのが「遠いデュエット」。4章構成のどの章も考えさせられるところは多かったのだが、とりわけ、第1章に軽い興奮を覚えた。
地主さん本人らしい人物がボラーニョ臨終の地ブラーナスを訪れ、彼の足跡を辿るというのが第1章の内容だ。墓に行こうとしたらボラーニョは遺灰を地中海に散骨するようにと言い残したので墓はないと言われ、ボラーニョのことを記憶している人物を探す。出会ったのがMというアルゼンチン人。彼はボラーニョを知っているという。しかし、話は食い違いを見せる。Mの言うにはボラーニョはマリリン・モンローの恋人だったとのこと。彼は証拠写真(ネット検索で得られたもの)まで見せる。
何のことはない。Mが言及しているのはメキシコ人俳優ホセ・ボラーニョスだったのだ。勘違いに気づき、曖昧な誤魔化しかたで対話は終わる。
そして地主さんはブラーナスの高台に上り、地中海を眺める。「ここがボラーニョの墓だ」と。
この章を見て僕は、これは「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」じゃないか、マイケル・タウシグじゃないか、と興奮した次第。
ブラーナスの町からポルト・ボウの町までの海岸線をコスタ・ブラーバと呼ぶ。コスタ・ブラーバの両端での墓をめぐる、墓参りする人々の話。
地主作品を見に行ったのは、場合によってはパネル・ディスカッション「世界の中のボラーニョ」で触れてもいいかもしれないと思ったからだ。結局は触れなかったけれども、パネルディスカッション自体は昨日、無事に終わった。