2016年1月21日木曜日

1月は大学教員には地獄の季節

SNSをやっていると、自ら探したものでない色々な情報が再生産されて目に飛び込んでくる。皆、生き方に悩んでいるのだな、と思う。

ちょっと前にはザッカーバーグやジョブズがいつも同じ服を着るのは、仕事での決断にエネルギーを残すためだと、つまり、こうすれば朝、何を着るかの決断をしなくてすむのだ、とするどこかのサイトの記事が何度も再生産され、たいていが、なるほど! と感心したコメントつきでの再生産で辟易したものだ。アホか、と思ったのだ。無批判に彼らの主張を再生産してどうなるのだ。スポークスマンじゃあるまいし。

たとえ世界的企業のトップでも、服の決断で迷って仕事上の決断が出来なくなるなんてことがあるはずがないじゃないか。そんなものはキャラクター作りだ。そしてそんなキャラクター作りなど、マリネッティが、サルトルが、大門課長(『西部警察』だ。つまり、渡哲也)が、数多くのマンガの主人公が既にやってきたことだ。自己ファッション化だ。


うむ。頼もしい青年だ。いいよ、こういう人は。でも、たかだかこういう人をメディアが取り上げるのは、そしてその取り上げ方は、いかがなものかと思う。これも本人の話を再生産しているだけじゃないか。人が……ひとりの大学生が経験するひとつの大学など、ましてや半年いただけの大学など、その大学の全体すらをも把握できているはずがないのだ。

モーリー・ロバートソンという人物がいる。高校までの学年で言うと、僕のひとつ年上ということになる。アメリカ国籍で日本で育ち、広島の高校で落ちこぼれ、富山かどこかの高校に転校、そこから猛勉強して東大とハーヴァード、その他に受かったとして、当初、もてはやされた(高3だった僕は、いわば入試を巡る大きな物語に浸っていたわけなので、こうしたストーリーを受け取ることになる)。東大に入学後前期だけで退学、ハーヴァードに渡った。そして今、主に日本でDJだか音楽プロデューサーだかの仕事をしている。メディアでもたまに見ると思う。

せめてこの人物を引き合いに出すことをなぜしないのだろう? ハーヴァードや東大の学生のあり方をもっと広くリサーチすること(そんなに苦労は要らない。関連書籍など何冊もある。それらをちょっと読めばいいこと)をせず、ただ18歳の青年が見ただけの世界を、彼に成り代わって伝えるだけなのはなぜだろう? せめて学費は? 奨学金は? と問題にしないのはどうしたわけだろう? 貧しさゆえに進学を諦める受験生も決して少なくはないこの国では(USAでも)重要な要素のひとつのはずなのに。

学生の進路選択といった時に、日本の大学の教員として、屈辱とともに思い出す一事がある。外語大時代の教え子のひとりのことだ。外国語学部スペイン語専攻を卒業して、オックスフォードの大学院に行こうとしていた。ビジネススクールだったと思う。僕は彼のために推薦文を書いた。そして彼は合格した。しかし、一方で就職活動も続けていて、ある最大手の総合商社に内定ももらっていた。結局彼はオックスフォード進学を諦め、就職したのだ。

奨学金が取れる見込みが立っていなかったし、日本で生涯勤めるのならば修士号はなくてもいいし、いやむしろ、それは邪魔ですらあるし。


というのが彼の決定の理由だ。ここに日本社会の、あるいは日本の大学を巡る最大の問題(少なくともそのひとつ)があるとは思わないか? 英米の大学の授業料の高さ。日本の国立大学の授業料の高さ。先進国の企業では珍しく、修士号や博士号を持っていなくてもトップに立てる日本のそれ、等々……