ハーマン・メルヴィルの作品は『バートルビー』だ。これは『バートルビーズ』複数形だ。そして実際、複数のバートルビーが登場する。2人、もしくは3人、または4人だ。
まずは3.11の津波の害を免れたT病院。そこの事務局長(大西孝洋)が見出した「彼」。最初のうちは仕事をしていたのに、やがて「できれば私、やりたくないのですが」と言いだし、事務局長の言葉によると「ヴァイタル・フィーリング」を失い、病院に居すわり、病院が移転しても居すわり続ける人物。
2人目は父親と婚約者の前で「できれば私、やりたくないのですが」と婚約破棄し、バイト先に籠城するビトーさん(宗像祥子)。
3人目は原作のバートルビー(たぶん。もしくはそれを改変したもの)。
4人目は詳しくは書かないが、ビトーさんのオトーさん、あ、いや、お父さん(猪熊恒和)。
これら4人のバートルビーが絡み合う。その絡み方は想像がつくものもあろう。が、こう書いただけではどうしても想像のつかないものがあるはずだ。2人目と3人目のバートルビーの繋がりだ。この繋げ方が絶妙で、この作品の質を保証している。
アガンベンやビラ=マタスにも言及しているが、ここまで書いて来たように、坂手バートルビーはバートルビーのセリフ「できれば私、やりたくないのですが」に着目したところ(書くことを拒否したこと、書けなくなったことは本質ではない)にかけてビラ=マタスとは異なる。I would prefer not to do... この語がフクシマに接続できることに気づいたのは、さすがだ。唸らざるをえない。