マルティン・フィエロが官憲に追い詰められ、万事休すとなったとき、クルスという警官が助けに入った。この男を殺すことだけはあってはならないと。
その話をボルヘスは「タデオ・イシドロ・クルスの伝記」という短編に展開した。ボルヘスの解釈によれば、「どれほど長く入り組んだものであっても、あらゆる運命は実のところたった一瞬から成っている。つまり、人が自分が誰なのかを永遠に知る瞬間のことである」(木村榮一訳)。木村榮一が「サケビ鳥」と訳したチャハーが泣いた瞬間、クルスは自分がフィエロであると知り、フィエロの側につく。
アウレリャノ・ブエンディア大佐が銃殺されようとする瞬間、銃殺隊を率いていたロケ・カルニセロは、アウレリャノを殺してはならないと気づき、連れたってさらなる反乱に旅立つ。
クルスもカルニセロも寝返ったのではない。彼らは運命として正しい側についたのだ。裏切りではなく、自覚だ。
誰かの耳元で運命を告げる鳥チャハーが泣くこと、¡Basta ya! と叫ぶべきだと気づくこと。明日の準備をしながら今日、そんなことを待望している。