乙女座のぼくは50歳になった。もう大人だ。
大人だからいろいろなことを思い出す。
今日、試写をふたつ続けて見た。泣きそうになることばかり。
ホアキン・オリストレル『地中海式 人生のレシピ』(スペイン、2009)
主演はオリビア・モリーナ。あのアンヘラ・モリーナの娘だ。しかももう29歳(当時)だ。同じ試写会の場にいた知り合いの女性たちは、最初の数分、10代のころの設定には無理が、違和感が感じられたと言っていたが、ブニュエルの『欲望の曖昧な対象』を何度も見たぼくとしては、母の思い出に取り憑かれていた。チラシやポスターの写真では気づかないけれども、動いてみればこれがそっくりなのだ。
しかも、その違和感ある10代のころの話しなどすぐ終わる。さすがに『電話でアモーレ』(この邦題もいかがなものかと思うが)などのオリストレル監督だけあってテンポ良い作りだ。
天才的な料理人ソフィア(モリーナ)が堅実な不動産セールスマンに育ったトニ(パコ・レオン)と遊び人で金もある接客業のフランク(アルフォンソ・バッサベ)、2人の幼なじみと独特の関係を保ちながらシェフとして成長していく話。それを生まれる直前の娘が語る。
男2人に女ひとりの3人組だ。これまで数多く生み出されてきたパターンだ。どれが最初かは知らないが、少なくとも一番印象深く思い出されるのは、『突然炎の如く』だ、もちろん。そして、当然のことながら映画は、それへの目配せも忘れていない。
しかし、トリュフォーと違い、こちらはいささかも思弁的ではないのだ。ソフィアが夫トニと仕事仲間フランクと3人での関係を提唱し、それを続けていくのだが、もちろん、途中で怒鳴りあいがあったり嫉妬があったり、周囲の誹謗中傷があったりはするけれども、なんだかあっけらかんとしているのだ、この関係が。それもおそらく物語の語りのテンポのおかげだろうけれども。
そういえば、こういう関係をménage à trois というのだった。3P? …… そしてメナージュ・ア・トロワはボラーニョ『2666』第一部の学者たちのオブセッションなのだった。ボラーニョも思いだしたのだった。
2作目は:グスタボ・タレット『ブエノスアイレス恋愛事情』(アルゼンチン、スペイン、ドイツ、2011)。
ピラール・ロベス・デ・アヤラがポルテ―ニョ風のしゃべり方を身につけ、いい。
ブエノスアイレスのおたがいにすぐ近くに住んでいる内向的な独り身の男女(ロペス・デ・アヤラとハビエル・ドロラス)の至近距離でのすれ違いを描いて身につまされる。
こちらは、オマージュを捧げる対象はウディ・アレン。パン・ダウンこそしないものの、ブエノスアイレスの林立するビルを映し出す冒頭は、『マンハッタン』や『ミッドナイト・イン・パリ』を想起させる。事実、2人はお互いに知らずして、同じ時間にTV放映されている『マンハッタン』のあのウディとマリエル・ヘミングウェイの別れのシーンで涙を流している。
仕事に使うマネキンを洗うピラールの手がなまめかしく、いい。精神科医と一度だけの関係を持った後、隣のピアノの音に腹を立ててマグカップを壁に投げつけ、それから泣く場面などは果たして身につまされているんだかピラールにほだされているんだか……
ボカ地区ともコリエンテス通りともコロン劇場とも無関係な(コロン劇場工事中という衝立の前は通るけど)ブエノスアイレス。
ブエノスアイレスでは独居者向けの狭いアパートは「靴箱」というのだそうだ。マルティン(ドロラス)の住む「靴箱」は40数平方メートル……それを独居者向けのアパートとしては広い方だと見なすほかない東京の住宅事情……ああ、いかん! ぼくはまた引っ越そうとしているのだ。