授業で『百年の孤独』を読んでいる。これを読むたびにいろいろなことを考えるのだが、確信を新たにすることのひとつが、伊井直行のデビュー作『草のかんむり』は『百年の孤独』解釈のひとつの形なのだということ。そのことは授業などでこれまでもたまに言ってきた。
このことはあまり言われなかった、と作家本人は嘆いている。たとえば、このインタビューなどだ。
うーん、そうなのか。これはどういうことだろう?
1)1983年(『草のかんむり』の発表年)には、既に外国文学なんて日本文学関係者からは顧みられていなかった。
2)1983年にはまだ、ラテンアメリカ文学、あるいはガルシア=マルケスはまだ読まれていなかった。(前年、ガルシア=マルケスはノーベル賞を受賞している)
3)外国文学なんて、ましてやラテンアメリカ文学なんて、1983年以前も1983年以後も顧みられてはいない。
集英社(『草のかんむり』はライバル? 講談社から)の「ラテンアメリカの文学」シリーズの配本が終わるのが1984年。ぼくが大学に入って、実際にガルシア=マルケスやカルペンティエールを読み始めるのがこのころ。
どうもそんな時期にそんな教養形成をしてきた身としては、そのあたりの距離感がうまくつかめないのだが……
安部公房が『百年の孤独』をNHKのテレビで紹介したのはまだ79年くらいだったか? 中上健次がガルシア=マルケスにあいたがったのはもう80年代に入っていたと思うが。そして寺山修司『さらば箱船』はやはり1984年。
うーん、むしろ伊井直行と『百年の孤独』はもっと気づかれてしかるべき時代だったと思うのだけどなあ……