Susan Buck-Morss, Hegel, Haiti, and Universal History (Pittsburgh, University of Pittsburgh Press, 2009)
先日(13日の土曜日)、同僚の武田千香さんの博士論文の口頭試問の席で、主査の今福龍太さんに示唆された書物が、これ。この第一章「ヘーゲルとハイチ」は2000年のCritical Inquiryに掲載され、それが高橋明史訳で『現代思想』2007年7月臨時増刊号「特集 ヘーゲル『精神現象学』二〇〇年の転回」に掲載された(144-183ページ)。これを第1章とし、「第1章へのイントロダクション」および「第2章へのイントロダクション」と「第2章 世界史」をつけ加えたのが本書。
自由を希求する思想である啓蒙思想は、黒人たちの自由を認めない実践としての奴隷制の上に成り立ち、奴隷の存在を無視したことと背理をなす。とりわけ「主人と奴隷の弁証法」で名高いヘーゲルの『精神現象学』は世界で最初の奴隷解放の結実だったハイチ革命と同時代に、それからのインパクトを基に書かれている。
「支配と隷属との関係についてのヘーゲルのアイディアはどこから来たのだろうか」、とヘーゲルの専門家たちは、主人と奴隷との「死をかけた闘争」という有名なメタファーを指してくり返し問うているが、ヘーゲルにとって世界史における自由の解明の鍵となるところのこのメタファーをはじめて詳述した『精神現象学』が書かれたのはイエーナ時代の一八〇五―一八〇六(ハイチ国民が誕生した年)、出版されたのは一八〇七年(イギリスが奴隷貿易を廃止した年)であった。まったく、どこから来たのだろうか。ドイツ哲学の思想史家たちは、その答えを探すのに一つの場所しか知らない。つまり他の知識人たちの著作である。(邦訳「ヘーゲルとハイチ」154ページ 太字は柳原)
ヘーゲルとハイチを結びつけたのは、バック=モース以前は、ピエール・フランクリン・タヴァレのみであったという。ただし、タヴァレの著作のうちのひとつを、その時点では未読だとの注もつけられている。
その注72は、本書では81になっている(49ページ)。
このエッセイが最初に活字化された時点(2000年)で、私はタヴァレの基の論文「ヘーゲルとハイチ」を未読であった。論文ではヘーゲルのフリーメーソンとの繋がりが扱われている。タヴァレの論文については「世界史」の章で議論する。(略)
ヘーゲルとフリーメーソン! ここにいたって問題は一気に我々のものともなる。
ヘーゲルとハイチとの繋がりを指摘することは、シェイクスピアがバミューダの遭難事故を基に『テンペスト』を書いたとする指摘と同じくらいに、あるいはそれ以上に重要だろう。シェイクスピアの『テンペスト』からは多くの重要な著作が二次的に生みだされ、それらを論じるポストコロニアル批評の議論も百出した。であれば、ここから多くの議論が展開されるべきだろう。
ヘーゲルとフリーメーソンとの繋がりという指摘に、ぼくが「!」をつけたがるのは、カルペンティエールとの繋がりがここで一気に開示されているように思うからだ。『この世の王国』でハイチ革命とヴードゥーを扱い、『光の世紀』でフランス革命のアンティーユ諸島への余波とフリーメーソンを扱ったカルペンティエールとの繋がりが。
読み直そう。10月からの授業のために。ヘーゲルとハイチ革命の見地からカルペンティエールを。