2012年9月27日木曜日

2666ページでなくてよかった


批評家の陣野俊史(『野生の探偵たち』の書評もしてくれた人だ)がツイッター上で書いていた。

長篇小説を読むときのコツは一日に読む量をあらかじめ決めておくことだと思うが、ボラーニョの『2666)の場合、一日100頁もけっこうきついが、100頁ずつ読んでも、一週間以上かかることになる。なんだか奇妙な旅をしている気分。

前段は実にためになるアドバイス。ページ数でなく、たとえば章数などでもいいだろうが、1日の分量を決めるのは、確かに、長編を読むコツだ。

で、ロベルト・ボラーニョ『2666』野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社、2012

をご恵贈いただいたので、熊本への出張のともに持って行きたいと思う。出張中には絶対に読み終えることはないだろうけど。

でもまあ、この前に読んでいたある小説に比べて、ボラーニョはぐいぐいと読み進んでしまう。読み進むのだが、3行も読むと、言いたいこと書きたいことがたくさん出てきて、読書を中断したくもなる。

読み進めるべきか、後々のことを考えてメモや文章作成を優先すべきか? これが次なる問題。

いや、実際、書き出しからして、面白いのだよ。ベンノ・フォン・アルチンボルディというドイツ人作家に魅せられた批評家・学者たちを紹介する第一部、最初に名が挙がるのがフランス人のジャン=クロード・ペルチエ。

彼の大学の独文科図書室には、アルチンボルディに関する文献はほとんど見当たらなかった。教師たちは、その人物について聞いたことすらなかった。教師の一人が、名前には聞き覚えがあるとペルチエに言った。十分もすると、その教師が名前を覚えていると思った人物はイタリアの画家だったことが判明し、ペルチエは怒り(驚き)を覚えたが、彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった。(13ページ)

な?

面白いだろ?

「彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった」だ。この一文が実に効果的で面白いのだと思うのだ。思うのだが、これを説明しようとすると、気が遠くなるのだ。

うーむ。読み進めるべきか、書き進めるべきか……