2011年3月4日金曜日

これも昨日の話

今日は夜の7時過ぎまで会議だった。

さて、昨日は国立新美術館に『シュルレアリスム展——パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による——』を見に行ったのだった。

ダダの時代から始まって、ふたつの「宣言」で頂点を迎え、やがて分派、離脱、破門の時代があって、亡命、帰還、と順に時代を設定し、最後はラムやポロックなどまでを展示。最後の最後にマッタの超巨大な『ロゴスの透過——仮象』がぼくたちを送り出す構成。

マッソンがたくさんあったが、マッソンはマッソンだ。あくまでもマグリットのすばらしさがぼくには印象深い。『旅の想い出』と『秘密の分身』、それになんといっても彫刻『ダヴィッドのレカミエ夫人』だ(カウチの上で棺桶が身をもたげたもの)。そしてぼくにとっての発見はヴィクトル・ブローネル。この画家をぼくは知らなかったのだが、今回、結構な数の印象的な絵が展示されている。

シュルレアリスムというと優雅な屍体(展示会では「甘美な死骸」)の集団的言葉遊びと自動記述による理性の枷への挑戦だと思うのだが、いずれも詩の試みかと思われるこの2つの試みにはデッサンにおけるそれもあった。それらがいくつか展示されていた。

そして、センターのフィルムライブラリからの出品となった映像作品も嬉しい。ブニュエルの『アンダルシアの犬』と『黄金時代』はともかくとして、マン・レイの『ヒトデ』(あのモンパルナスのキキの物憂い表情で有名なやつだ)とルネ・クレールの『眠るパリ』がかかっていた。後者は特に、実に面白かった。そしてファブリス・マズが2003年に撮ったドキュメンタリ『野生状態の眼——アンドレ・ブルトンの書斎』も興味をそそられた。

ちなみに、掲載したのは会場で取ったメモ。ジャコメッティ『テーブル』の4本の脚のうちの1つのくねくねとしたところがシュルレアリスム的だな、という発見を記したメモ。