2024年11月8日金曜日

正しく投石すべきであるということ

パトリシオ・グスマン『私の想う国』(フランス、チリ、2022


試写に呼んでいただいたので、観てきた。


前作『夢のアンデス』(2019公開に際してパトリシオ・グスマンにインタヴューし、LATINAのウェブ版(note)に発表したのだった(リンク)。そのときグスマンは既に次回作のポストプロダクションに夢中で、今、チリでは凄いことが起こっているのだと興奮気味に語っていた。その次回作が、この作品。


2019年、地下鉄料金の値上げに反対し、サンティアーゴ・デ・チレの人々が金を払わず、入り口のバーを飛び越えて利用するようになった。それをやめさせようとする当局との間の衝突から始まるデモが拡大した。時の大統領セバスティアン・ピニェーラは「戦争」と宣言してデモの弾圧に乗り出した。放水車や催涙弾を放つ警官隊(carabineros)に対し、デモ隊は投石で対抗。当局はさらにこのデモを報道するジャーナリストたちの目すらも狙うようになる。それに抗議し人々は片目を閉じた姿で「お前の沈黙は共犯だ」とのシュプレヒコールを合唱する。こうした抗議運動はやがて憲法改正の要求へと繋がり、改正をするか否かを問う国民投票が実施され、可決され、憲法改正議会が開かれることになる。


こうした過程を追ったのが今回の作品の内容。『チリの闘い』からのものと思われる(あるいはその前の『最初の年』か?)かつての民衆運動をめぐるフッテージがところどころに挿入され、政党主導の運動であったかつてのそれとの対比で自然発生的に持ち上がってきた現在の運動が描かれる。監督が「最も驚いたことのひ一つ」としてあげたかつての、アジェンデ時代のシュプレヒコール “El pueblo, unido, jamás será vencido” (団結した民衆は決して打ち負かされない)が湧き上がるさまを捉える。ある種の連続性を印象づける瞬間だ。


が、もちろん、50年前と現在では運動は異なるものになる。現在のデモ隊は飛び跳ね、踊り、歌い、楽しそうだ。楽しいだけでなく、やはり何と言っても2019-20年の運動を特徴づけるは、目隠しをした女性たちが大勢で歌い、踊り、指さす、「暴行犯はお前だ」El violador eres tú の詩のパフォーマンスだ。女性への暴力やフェミサイドに抗議するこの集団パフォーマンスが今回のチリの運動に加わったことの効果を、映画は伝えている。この50年の間にもたらされた運動の変質を示しているのは、その音楽性だけではなく、女性がその運動の中心にいるということなのだ。憲法制定議会で発言する者も、その議長も女性だった。インタヴュイーのひとり、ジャーナリストのモニカ・ゴンサーレスの言うとおりだ。軍政時代に行方不明者を探して国中を歩き回った女性たちが、やっと家庭に戻ってどうにか通常の生活を始めたのだ、ここから先へは一歩も後戻りできない、と。


映画はガブリエル・ボリッチが大統領に選ばれたところで終わっている。実際のその後のチリでは、映画で扱われた制定議会の提案した憲法草案は国民投票で否決され、新たな右派優勢の制定議会ができ、しかし、彼らの起草した憲法案も否決された。映画内のインタヴュイーのひとり、チェス・プレイヤーのダマリス・アバルカは、最も恐れていることは結局ピノチェト時代の憲法がそのまま残ってしまうことだと懸念を表明していたが、現実にはその懸念どおりになったわけだ。民主主義は時間のかかる過程なのだ。この現実の挫折までもが今作の価値に含まれるべきだろう。


それでも、憲法改正の国民投票にいたるまでの過程は実に興味深く、コンフォーミストだらけの腐った国に住む身としては、チリの人々の行動が身もだえするほどにうらやましい。


1220日、21日公開。



かつて、引っ越しの途中にトラックのタンクをぶつけてしまった隅石。『私の想う国』は石の映像に始まり石の映像に終わるものだったので。

2024年11月7日木曜日

さざめきに殺される

前回の投稿で予告したとおり、


ロドリゴ・プリエト『ペドロ・パラモ』(Netflix2024)脚本:マテオ・ヒル


を観た。考えていたより長く、日をまたぐことになった。


言わずとしれたフアン・ルルフォの小説の映画化作品だ。小説版『ペドロ・パラモ』はフアン・プレシアード(テノチ・ウエルタ)を語り手に、彼が母親ドローレス(イシュベル・バウティスタ)の遺言によって父親ペドロ・パラモ(マヌエル・ガルシア‐ルルフォ)に会いにコマラという田舎町にやってくるところから始まる。ところが、ペドロ・パラモは死んでいるというし、それを教えたロバ追いのアブンディオ(ノエ・エルナンデス)もペドロ・パラモの息子だと言い張るし、やってきたコマラはゴーストタウンのようで、迎え入れたエドゥビヘス(ドローレス・エレディア)は死者と話ができるようだし、どうやって知ったのかわからないダミアーナ・シスネーロス(マイラ・バターヤ)がフアンを迎えに来るものの、彼がついていったら彼女は途中で消えるし、どうにもあやしい雰囲気である。コマラでは死者たちのささめきがするのだ。そのささめきがペドロ・パラモの過去を語るし、フアンもいつしか、自分もまた死んでいることに気づいたりする。断片形式でいったり来たりしながら語られるので、ストーリーを再構成するのが難しい/楽しい話だ。僕もダミアーナ・シスネーロスとかバルトロメとスサナのサン・フアン父娘などの名をはっきりと覚えているのだが、ストーリーはそのつど再読しないと忘れてしまいがちだ。


映画版は、断片化という原作の性質をそのままに、しかし、小説にある簡潔さに対し、説明的なシーンなどを添えてストーリーを分かりやすくしている。これまで何度読んでも筋を忘れてしまっていた僕も、なるほど、確かに、あれはああいう物語だった、と納得できるのである。そうして明らかにされるペドロ・パラモの生涯についてはここで事細かに紹介はしないが、小説を未読の者にとっては、結末はなかなかにショッキングである。あれ、こんな話だっけ? と思って読み返してみると、いや、確かにこの結末のつけかたは小説を忠実になぞっているのである。つまり原作を読んだものにも充分にショッキングである。


コマラでのフアンの行動は夜の闇につつまれ暗く、過去の回想は明るく、まだ緑も多い田舎を背景にしており、コントラストが印象的だ。ペドロの右腕フルゴール(エクトル・コツィファキス)の最期のシーンなどは、さすがはスコルセーゼ(スコセッシ)の撮影監督で知られたプリエトらしく、印象的だ。フアンが自分が死んでいることに思い至るシーンも、ルーベンスのようで、一興。


昨日行った砧公園の最寄り駅・用賀駅

2024年11月6日水曜日

メキシコ三昧

歯医者を終えて行ったのが北川民次展「メキシコから日本へ」@世田谷美術館



北川民次は壁画運動が始まったころのメキシコに学んだ画家。芸術教育にも参加し、帰国後もそのような活動をした。Contemporáneos などにも取り上げられた。その民次の作品を網羅した展覧会であった。


取って返してアルトゥーロ・リプスティン『境界なき土地』(1978)@東京国際映画祭・ラテンビート映画祭@ヒューマントラストシネマシャンテ有楽町


ホセ・ドノソの同名の小説をメキシコを舞台に置き換えホセ・エミリオ・パチェーコやマヌエル・プイグが脚本に参加してリプスティンが映画化した作品。ドン・アレホ(フェルナンド・ソレール)という有力者が取り仕切る田舎町の娼館が舞台。ラ・マヌエラ(ロベルト・コーボ)と呼ばれる性倒錯者のショウダンサーがラ・ハポネサ(日本人女性/ルチャ・ビーヤ)と呼ばれる経営者兼娼婦の野望から彼女と関係を持ち、そこでできた娘ラ・ハポネシータ(アナ・マルティン)と店を継いで暮らしている。彼女がドン・アレホに面目を潰されたパンチョ(ゴンサロ・ベガ)との駆け引きに失敗し、殺される話。マチスモとかホモフォビアが辛いストーリーだ。


赤が印象的な映像と、カタストロフの対決がリプスティンらしい。


そして、たぶん、今日はこれからNetflixで『ペドロ・パラモ』を、もう観られるはずだ。


写真は用賀駅から世田谷美術館(砧公園)に向かう道すがらの光景

2024年11月3日日曜日

田中一村とガルシア=マルケス

1030日には田中一村展@東京都美術館を観に行った。一村は50にして奄美に渡り、そこの自然を描いた日本画家で、そんな経歴から「日本のゴーギャン」と呼ばれたりもするが、作風はむしろアンリ・ルソーを思わせるように僕には思える。で、ともかくのその彼にかんしては近年、知られていなかった作品の発掘が進んでいるようで、この展示会でもそうした作品を展示しているようである。それら、主に奄美渡航以前の作品が実にいい。


平日の昼間なのに人がたくさんいて戸惑った。NHKが何度かにわたってこの展覧会および一村の業績などを紹介しているので(僕はそれらを事後、NHK+で観たのだった)、その影響もあるのだろうか?


写真は夕暮れに映える都美。

112日(土)には第9回現代文芸論研究発表会というものがあった。その第3部では「文庫で読む『百年の孤独』:今読む意義」というシンポジウムをやった。まず僕が『百年の孤独』文庫版に対するメディアの反応を紹介した。次いで久野量一さんが『百年の孤独』のカリブ世界への開かれ方を具体的な他の作品をあげて示した。棚瀬あずささんが作品内の女性の扱いについて分析し、女性は円環の時間を司っているのだと紹介した。最後に野谷文昭さんがユーモアとアナクロニズムについて、冒頭、みずからを「語り部」と位置づけたやり方で語った。久野さんのホセ・アルカディオ(バナナ会社監督になるJ.A.)が生き残った者の罪悪感を抱いているという指摘や棚瀬さんのメメは唯一マコンドの滅亡後も生き残るという指摘には目からうろこが落ちた。 


盛況であった。このシンポジウムの様子は『れにくさ』に収録される予定。

2024年10月31日木曜日

また日記を怠ってしまった

9月4日(水)には大江健三郎文庫設立1周年記念シンポジウムというのに参加し、「大江健三郎とメキシコ」という話をしてきた。


その後、名古屋での集中講義。


10月4日(金)には前日に北海道の常呂町(現・北見市)に飛び、常呂高校で講演をしてきた。常呂には東大の考古学演習施設があり、その関係で常呂町(北見市)との間に毎年、市民講座などが開かれている。それとセットで常呂高校での講演会がある。今年は僕がそれに当たったという次第。翌日が立教での授業だったので、とんぼ返りであった。



10月31日(木) ペドロ・アルモドバル『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(スペイン、USA、2024)@東京映画祭


作家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)が旧友の戦場記者マーサ(ティルダ・スウィントン)が癌になったと聞きつけ、久しぶりに会いに行く。マーサは娘のミシェルとの不仲の理由などについて話す。癌治療がうまく行かないことを知ったマーサは安楽死を望み、人が死ぬのに重要なのは誰かが隣の部屋にいてくれることだと言い、ウッドストック近くの一軒家を借りてそこで自殺するので、隣の部屋にいてくれるようにとイングリッドに頼む、という話。


アルモドバルらしい都会(ニューヨーク)のアパートの窓の向こうに見える高層ビル、エドワード・ホッパーの絵をそのまま再現したような家、スペインを舞台にしたものに比べて抑え気味ではあるものの、鮮やかな色使いが飽きさせない映像を作っている。


僕はアルモドバルとスウィントンは似合いの組み合わせだとは思うのだが、それがなぜなのかはよくわからずにいた。ところが、彼女の最初の登場シーンで一気に理解した。アルモドバルは真上からのショットが印象的な作家だ。スウィントンは寝そべった姿が似あう人物だ(ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』にそんな印象的なショットがあったように記憶する)。寝そべるスウィントンを上から撮ったショットで目からうろこが落ちるのだ。


原作はSigrid Nunez (シークリット・ヌーネスおよびシーグリッド・ヌーネスの表記でいくつか翻訳がある)のWhat Are You Going Through 。ヌーネスはヴァージニア・ウルフのファンで知られるから、The Room Next Door は「(鍵のかかる)隣の部屋」なのだろう。ウルフの「病気になること」などが意識されているのか、スウィントンの横臥した姿勢が印象に残る。そしてウルフ以外ではジョイスの「死者たち」およびその映画化作品『ザ・デッド』(ジョン・ヒューストン、1987)のモチーフが踏襲されている。窓の外の雪だ。

2024年9月1日日曜日

秋に備える

昨日、8月の最終日は大学院夏期入試の日で、夕方にはこういう場所に行った。



中板橋のマリーコンツェルト Maly Koncert30人ほどを収容する小さなホールだ、ここでDUO CHISPAのコンサートを聴きに行ったのだ。これはギターの林祥太郎とチェロの鈴木晧矢とのユニットで、林の You Tube での告知に出くわしたので、比較的近くだし、行ってみようかと思った次第。


2曲め、というか、2つ目の演目、ファリャの「7つのスペイン民謡」からの3曲で盛り上げ、スティーヴン・ゴスの「偶像の庭園」で格好良くまとめた。それが第1部。第2部はブラジルの楽曲2曲にピアソラ3曲の南米シリーズ。ピアソラの「ル・グラン・タンゴ」はロストロボーヴィチに書いた曲だそうで、つまりチェロ曲であるそれをギターとともにやるのは初めてだとか。これが本当に素晴らしかった。



最近何度か You Tube に『アニー・ホール』のクリップをいくつか見せられた。僕も何度も観た映画のはずなのに、ウディ・アレンがチェックのシャツをよく着ていることに改めて気づいた。僕は服の着こなしはほとんどウディから学んだようなものなのだが、そのわりに、チェックのシャツはあまり持っていない。ギンガム・チェックのやつとタータン・チェック(というか、ブラックウォッチ)のやつが1枚ずつといったところか。そろそろ秋冬物が出回るころなので、何か、たとえば、久しぶりにタッターソールのシャツでも1枚買おうかと思いついたのだった(ウディがタッターソールを着ている姿は記憶にないが)。僕は学生時代にはタッターソールのシャツを気に入ってよく着ていたのだが、いつの間にか着なくなっていたのだった。


そんなことを考えているときに、あるビルに入ったユニクロの前を通ったときに、見つけてしまったのだ。


タッターソールのシャツ。学生時代のお気に入りの赤を基調としたものでなく、茶色ベースのものだ。オックスフォード織りでもない。ましてやユニクロだ、年収1億と100万の者がいてもいいとほざいたネオリベ野郎・柳井正の会社だ。柳井は先日も日本は滅びるなどと、滅ばせた本人のくせしてうそぶいていた。そんなやつの会社に金を落とすなど、屈辱ではあるまいか? 


でもまあ、買ってしまったのだな。経済に負けてしまった。


この秋は恥と罪悪感を背負ってこのシャツで過ごすことになるのだろうか……

2024年8月13日火曜日

後から来る者たちへの配慮(?)

ガブリエル・ガルシア=マルケス『出会いはいつも八月』旦敬介訳(新潮社、2024にはクリストーバル・ペーラによる「編者付記」と数枚の草稿写真が掲載されている。


草稿と言っても、周知のごとくマッキントッシュのデスクトップコンピュータで書いていたガボに手書きの原稿があるわけではない。書いた原稿をプリントアウトし、それに手書きで推敲の赤を入れたものが物理的に残っているらしく、それの第5バージョンの数ページの写真が掲載されているのだ。


僕の勤務する東京大学文学部には大江文庫というのがあって、こちらは手で書いていた大江の手書き原稿や校正したゲラ刷りが収蔵されている。コンピュータ(ワープロソフト)で書く人が大半になってしまった現在では作家の草稿研究などというのはもう成り立たないだろう。大江が最後くらいの世代なのだろう……そう思っていたのだ。


そこへ、今回のガボの「草稿」写真だ。なるほど、その手があったか!


僕は手書きのノートを多用してはいるものの、卒業論文の時点からワープロで書いてきた人間だ。手書きの原稿は存在しない。それで、そのワープロ版もそのソフトの中だけで推敲して、書き換えの過程を残さずにきた。


が、そんなわけで、ガボの事例を知ったときに悔い改めた。書き換えの過程を残しておかなければと思うようになった。一回一回プリントアウトして紙の上で推敲するのはしやすいにはしやすいのだが、何度も何度もそれをやっていると紙を大量に使うことになる。それで、折衷案として、完成稿にいたるまでのバージョンをPDFにしておこうと思い至ったのだ。今では短いゲラなどはPDFで受け取り、iPadでそれを校正するという段取りをとっている。同様に原稿でも第1稿ができたらPDF化して推敲、ワープロソフトで書き直し、第2稿を作る、というようにして完成稿まで仕上げていこう。


という過程を今年からたどることにしている。こんな具合だ。



これはある翻訳の第3章の第1稿を推敲したもの(iPad内)を見ながら、第2稿を作っているところ。


ガボなら後世の研究者たちがこの推敲の過程を調べてくれることもあるだろう。が、果たして僕の原稿や訳稿を研究する後世の人々というのはいるのだろうか? いるといいな。

2024年8月9日金曜日

復活!

半年以上ブログの更新を怠っていた。ちょっと前に誰かからブログを復活させろ、と言われたので、それもそうだと思い、久々に更新。


リラ・アビレス『夏の終わりに願うこと』ナイーマ・センティーエス、マテオ・ガルシア・エリソンド他(メキシコ、デンマーク、フランス、2023


末期癌で親の家で終末期を迎えるトナ(ガルシア・エリソンド)のために盛大な誕生日パーティーが開かれることになる。その準備の過程と実際のパーティーの様子を、父に会いにやってきた娘のソル(センティーエス)の視点から描いた作品。というのが、おそらくはいちばんシンプルな説明。しかしもちろん、それだけで言い尽くせるはずもない。豊かな細部に彩られた映画だ。


トナの兄弟姉妹は他に3人。長女のアレハンドラ(マリソル・ガセ)はパーティー準備を取り仕切るのだが、弟トナの病気を治す手だてにと霊媒師を呼んでお払いのようなことをしてもらい、父親(ソルにとっての祖父)ロベルト(アルベルト・アマドール)は不機嫌を募らせる。おそらく父とその家に同居しているのが次女のヌリア(モンセラート・マラニョン)だが、彼女はソルとその母(つまりトナの妻)ルシーア(ヤスーア・ラリーオス)がケーキを買ってきたのに自分が作るケーキに固執し、一度焦がした後に作り直しが終わらないうちはパーティーにも顔を出さない。アレハンドラに指図されることにはうんざりしている模様。このケーキへの固執、2個のケーキというのが、ラストのソルの不穏な表情を理解する鍵になりそうだ。男兄弟のナポ(フアン・フランシスコ・マルドナード)は自然食品などに意識が向いている模様。


こうした家族のすれ違いの原因は、もちろん、トナの病気の治療費に苦しんでいる家族の事情があるのだろう。使用人クルス(テレシータ・サンチェス)を雇うごく普通の中流家庭であるはずの家族は、そのクルスへの給料の支払いも滞っているようである。


死に臨む者を扱っている映画だけあって、トイレ/浴室がストーリーの重要な時空間を形作る。最初のシーンはソルとルシーアの親子が(デパートかどこかの)トイレで話しあうシーンから始まる。トナはクルスに助けられてトイレに入るし、十分に大きな家であるが、その時点で唯一機能しているトイレ/浴室を使っているヌリア親子はアレハンドラに早く出ろとせかされる。一度はパーティーに出ようとしたトナも途中で漏らしてしまって(me cagué とつぶやく)、一度は引き返すことになる。生々しい排泄を見せるわけではないが、こうした細部がリアリティをもたらす。


それにしてもトナを演じるガルシア・エリソンド(ガボの孫でサルバドール・エリソンドの孫でもある)の役作りはすさまじい。二度ほど裸の上半身が映るのだが、あばら骨が浮き、腹がへこんでえぐれている。相当に無理な減量をしたのだろう。力石徹を想起せずにはいられなかった。あれをリアルな肉体でやっている。それとも、デジタル処理であんな体ができるのだろうか?


ソルの視点で描かれるので、カメラはクローズアップが多く、大人たちの姿がフレームからはみ出たりする。画家であるトナはソルに絵をプレゼントするのだが、その絵も全体像はわからない。エンドロールにはそれを補うような仕掛けがある。エンドロールなど顧みることもしないメキシコの映画で、そんな仕掛けがなされているのだから面白い。


写真は松原食品のレトルトのモレ・ポブラーノ。パッケージ写真から受ける印象よりもチキンは少ないという感じ。味は悪くない。

2024年1月27日土曜日

開始1秒で興奮の極地

そんなわけで昨晩、インスティトゥト・セルバンテスで観て、語ってきたのだ。


ビクトル・エリセ『瞳をとじて』スペイン/GAGA2023


前に書いたように(リンク)個人的な思い出などは語ることはないだろうと思っていたのだが、そして、だから93年のエリセとの日々をブログに書いたりしたのだが、結局、その話もすることになったのだった。


そしてまた、同じく以前書いたのだが、それ以前に実際の作品を観ていなかったので、『瞳をとじて』そのものに関しては細かい議論はできないかな、とも思っていた。ところが、開始直後から僕は大いに興奮し、「おおっ!」と叫んだり立ち上がったりしたい欲求を抑えるのに必死だった。それだけ言いたいことが溢れてきたのだ。


『瞳をとじて』は映画の撮影途中で失踪したかつての二枚目俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)の行方を22年後、そのときの映画監督だったミゲル・ガライ(マノロ・ソロ)が、TV番組の要請に応えて探す話だ。最初の10分くらい、未完の映画『別れの眼差し』La mirada del adiós の(おそらく)冒頭のシーンが紹介され、そしてラストでその(おそらく)ラストのシーンが紹介される。そこにいたるまでの22年後の現在の捜索(それはまた過去を見直す作業でもある)が映画の中心ではあるが、この最初と最後に挿入される映画内映画もとても重要。かつ、面白そう。そのふたつの映画が絡み合って作品はさらに重層的になる。


いわゆる「ネタバレ」のない範囲内でいうと、僕はこの冒頭の映画内映画『別れの眼差し』にひどく興奮してしまったというわけだ。


オープニングはフランスの田舎にあるらしい古く大きな邸宅の外観から始まる。そして、その邸宅の名が Triste le Roi であるとの字幕が目に入った瞬間に僕は興奮の極地に達したというわけだ。トリスト・ル・ロワ! 言うまでもなくこれは、ボルヘス「死とコンパス」の犯罪の終結点となるホテルの名だ。この名が「ある短篇小説から取られた」ことは『別れの眼差し』のなかでも明かされるが、それがボルヘスの短篇であることは明言されない。しかし、ボルヘスの愛読者なら、もちろん、だれもがすぐに思いつく名だ。


これはブエノスアイレス郊外アドロゲーにあるホテルを念頭に置きつつも、こういうフランス語の名にしたのだとのこと。が、こうして名を変えるなどして初めてブエノスアイレスの場末の雰囲気をよく伝えていると褒められたのだと、後のボルヘスは回顧している(「アルゼンチン作家と伝統」牛島信明訳『論議』〔国書刊行会〕所収)。そしてアドロゲーのホテルといえば、もちろん、「一九八三年八月二十五日」(『シェイクスピアの記憶』内田兆史、鼓直訳〔岩波文庫〕所収)の舞台オテル・ラス・デリシアスだ。ここはボルヘスが自殺を決意したときに泊まったホテルでもある(内田兆史による解説)。まるで『エル・スール』の父親を思わせる行動だが、ともかく、それだけボルヘスにとって重要な場である。


しかし、ここでの問題はボルヘスにおける〈トリスト・ル・ロワ〉の重要度ではない。その名でアドロゲーのホテルを形容した「死とコンパス」こそは、ビクトル・エリセが『エル・スール』と『マルメロの陽光』の間に映画化を試み脚色した2つのボルヘス作品のひとつだということだ。念のために言うと、もうひとつは「南部」、つまり、"Sur" だ!


そして、映画内映画『別れの眼差し』では、トレードで生まれてタンジェに育ち、世界中を旅して名前を何度も変え、今はレヴィと名乗るユダヤ人(まるでボルヘスの人物のようではないか! そしてこれはまた、映画の本筋にも対応する話)がフリオ演じる人物にある依頼をするというシークエンスが展開するのだが、そこで、『上海ジェスチャー』という名の映画が言及される。これもまた僕の興奮の種。


というのは、エリセはフアン・マルセーの小説『上海の魔力』El embrujo de Shanghai という小説を『上海の約束』La promesa de Shanghai の名で映画化しようとしてクランクイン直前でストップがかかり、挫折。諦めがつかず(なのか?)その脚本を脚本単独で出版した(小説はその後、小説のタイトルのままフェルナンド・トゥルエバが映画化した)。その脚本の前書きにはエリセ自身の原初の映画体験が綴られる(そのコンセプトは後の短篇「ラ・モルトルージュ」に結実する)。そしてその初の映画内である女優が現れた瞬間を永遠化したのだった。その映画というのが『上海ジェスチャー』だ。これへの返礼であるから映画は『上海の約束』になるべきだというのだ。


つまり、映画内映画『別れの眼差し』は、エリセが計画して実現することの叶わなかった映画が変形される形で込められたものなのだ。そう思えば(『瞳をとじて』の)ラストでの(『別れの眼差し』の)ラストシーンも大きな意味を持ってくる。


『瞳をとじて』が映画についての映画とされているのは既に喧伝されているとおりだが、これはまたエリセ自身の過去の作品についての映画(フリオの娘アナ役でのアナ・トレントの起用。これは泣くぞ)でもあり、エリセがついぞ実現することのできなかった映画作品についての映画でもあるのだ。


ちなみに注記するなら、「死とコンパス」はアレックス・コックスが映画化、『デス&コンパス』(メキシコ、日本、アメリカ、1996)の名で公開された。公開時のティーチインでコックスは他の誰かが書いた「死とコンパス」の脚本を読んだが、あまりにも部厚くて映画化不可能と思われたと発言しているが、あれはエリセ版「死とコンパス」のことではなかったのだうろか? そのことが質問できなかったのはその場に居合わせた僕の心残りである。



(写真はイメージ。チリンギート・エスクリバのバレンシア風パエーリャ)