変則カレンダーで今日は授業のない月曜日。試写に呼ばれて映画美学学校映写室での試写に行ってきた。
3つの場所で展開する3つの物語。いや、物語がそこで展開するのではない。そこにいる人びとがそれぞれに物語を抱えているという形。
まず最初はマドリード(らしい)のアパートに暮らす母と子の会話から始まる。会話はロシア語でなされる。父親がどこかに出稼ぎに行っているらしい。やがてクリスマスがやって来て、母子はクリスマス・ツリーの装飾を始める。男の子が3Dのゴーグルで何かを見ながらはしゃいでいる。ロシア語で話していた彼が不思議とスペイン語らしいイントネーションに変化していく。ときおり、 “Soy viejo italiano” などとはっきりとしたスペイン語のセリフを発する。ゴーグル内で展開する物語がきっとスペイン語によるものなのだ。ここで観客ははじめて、ここがロシアではないのかもしれないと疑いを抱くことになる。
母子は別の家にお呼ばれしているのか、男ふたり女ひとりのスペイン語話者に交じってスペイン語で会話している。確かにここはスペインなのだと観客は確信することになる。男ふたりはゲイのカップルなのか、ガルデルの歌をかけるとふたりで踊り出す。
……
ふたつめの場所はサン・セバスティアン(なのか?)の海岸。若い女性ふたりが一方の恋人(なのか?)に関する愚痴を言っている。そこに現れた東洋人(たぶん日本人)は無言でふたりに近づき、そのうちのひとりと歩き出す。無言で。
どこかの建物の玄関先のような場所で、男は英語で子供のころの父との思い出を語る。
男はイズミというのだろう、今度は雨の中を走る車に乗っているらしい。そこでそう呼ばれている。女性ふたり(ともうひとり男性がいたかも?)が彼を滞在先まで送っていくところらしい。
……
サン・セバスティアンでのパートが終わると、夏の日本の(岡山らしい)田舎町に舞台は移る。何の説明もないのに、場面が切り替わった瞬間にそこが日本だとわかるのは、田圃と蝉の鳴き声のおかげなのだろうか? 夫を亡くして一人暮らしの老女が、その夫の墓参りに来た孫たち(ひとりは監督・宇和川本人)と盆を過ごす。亡き夫/祖父の思い出を語ったり、玄関先で火をおこしながら祖父の到来の声を聞いたりする。ここでも雨の中を車が走る。
憶えている細部をすべて書き写すことはしないが、そこにいる者たちのひとりひとりが抱える物語だけでなく、不在にも等しい存在も感じられる。そもそも最後は日本のお盆の話で、死者を迎える話でもあるのだから見えない者がいてもいい。多言語状況の中でまったく理解できないがゆえに不在に等しい者がいてもいい。
老舗名曲喫茶ライオン。久しぶり。