2023年8月2日水曜日

決断とか選択とか

外語時代の教え子が、母校がTVドラマのロケ地になっているとFBで投稿していたので、過去回のダイジェストと最新回を観てみた。なるほど、主人公が通っている大学は東京外語大府中キャンパスだ。主人公の福原遥が大学1年生にして妊娠、が、恋人とは引き離され、自身もキュレーターになりたいとの夢を諦めることもできないままもがくという話。子どもも夢も諦めない、と。


うーむ。さて、これは設定として成立しうるだろうか? 


教師になれる直前の大学生が、人工妊娠中絶が法で禁じられていた時代(1960年代)のフランスでリスクを冒して中絶に踏みきり、危機に陥るという『あのこと』(オードレイ・ディヴァン監督、フランス、2022、アナマリア・ヴァルトロメイなど)と対照的な設定といえばいいだろうか? 


美術教師であった母(ミムラ改め三村里江)を早く亡くし、離れて暮らす父・安田顕は妊娠の事実を知り、「堕ろせ!」と怒鳴る。学友たちは彼女の妊娠に気づいて悪意ある噂をソーシャル・メディアで流す……うーむ、ロケ地にされている大学では(僕の教え子の中には)、在学中に子を宿し(結婚したけど)、ちゃんと卒業し、他の学生同様に企業に就職した女子学生もいたけれども、今の時代、このドラマがどこまでリアリティを持つのだろうか?


1840というタイトルのこのドラマ(脚本は龍居由佳里と木村涼子)のもうひとつの重要なプロットがもうひとつの数字 40 に関わるもの。そのくらいの年齢の深田恭子が、こちらは美術関係の仕事で働く、福原遥にしてみれば憧れの人ではあるが、彼女は彼女で未婚、母の片平なぎさから結婚を急かされるという、これも今さら古くさい設定。うーむ、TVドラマはいつまで同じ歌を歌うのだろうか、と思わなくもないが、この二人がちょっとしたきっかけで関係を持ち、生活を共にするというところが唯一最大の活路なのだろう。


さっきTVerで観た最新の第4回では、悩んだ挙げ句に物わかりのよくなった父・安田顕が深田に謝罪し、娘とも和解を求めて会いに行き、子どもを堕ろせなどとは言わないから家に帰ってこいと諭すと、娘は「瞳子さんと住む」と主張、父は引き下がった。瞳子さんというのは深田の役名。なるほど、根源的な問題に、しかし、古色蒼然たる仕方で悩まされる赤の他人の二人が、恋愛でも親子愛でもない何かによって結ばれて共生するというアルモドバル的設定に流れ込んで行くのだ。


……と思ったらまたしても脱力したのは、安田顕が最後に出した条件、休学をすることというものに対し、娘・福原遥が涙ながらに反対したこと。うむ。そのロケ地になった大学では、学生は5年や6年かけて卒業することはごく当たり前のことで、休学にそこまでの抵抗を示すほどの障壁としての力はないのだけどな……


TVerだとこうして見逃した回を追いかけたりダイジェスト版を見たりできるから、これは便利! と言えば言いうるのだが、逆にこれだとどんなTV番組も観てしまう。観る気になれば。俺はそんな暇はないはずなんだけどな。いろいろと締め切りが……



最近お気に入りの新書サイズの面々。


ところで明日はオープンキャンパス。今年度、文学部の広報委員長を拝命した僕は模擬講義の司会をするのだ。


講義は社会心理学の村本由紀子さんによる「選択の自由、選択の不自由」と英語英米文学の新井潤美さんによる「小説を読む——ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』」。聴講されたし。