このところ、月に1本くらいしかブログを書かなくなってきた。いかんのだ。遺憾なのだ。
7月15日(土)にはインスティトゥト・セルバンテスで「ロベルト・ボラーニョ・トリビュート 野生の探偵の軌跡 2003-2023」なる催しに出て来た。
第一部では星野智幸、大竹昭子のふたりがいかにボラーニョを読んだかという話をし、それを受けて僕が話題を振ってのトーク。大竹さんは「センシニ」を読んでボラーニョは信頼にたる作家だと思ったという話をし、星野さんは『2666』をメキシコ市はデルバジェのアパートに籠もって読んだという話とボルヘス「記憶の人フネス」を繋げて語った。
僕が大竹さんと星野さんの話を繋げるために、「センシニ」について補足説明した。作品中にわずかにひと言だけ「ヘルマン、きっと面識があるに違いない」と書いてあるところから、センシニと同様の経験をしたフアン・ヘルマンが思い出される造りになっていると、こうしてそこに描かれている国家の暴力の幅が広がるのだが、そんな背景を基にしながら文学賞ハンターなどという風変わりな仕事に身を捧げている人物であるセンシニを描くその描き方が記憶をユーモアに昇華させるというボラーニョのやり方なのだろうと、そんなことを言った。
その時僕はセンシニにもまたモデルとしての実在の作家がいるということをすっかり忘れていた。少なくとも、そのことは話さなかった。するとそれを補うように、第二部に登壇した野谷文昭さんがセンシニにもモデルがいる、アントニオ・ディ・ベネデットだ、と補足した。ありがたい。そしてそういえば――と帰宅後思い出したのだ――ベネデットはルクレシア・マルテルが映画化したZamaの原作者なのだった。本当は「ボラーニョの影響」を語る第一部ではそんな話にも持って行ければよかったのかもしれない。反省。結果として一部は大竹、星野のふたりがどのようにボラーニョを受けとめたかという話になった。
第二部には映画監督の小林達夫、野谷文昭、セルバンテスの文化担当官ハビエル・エルナンデスが登壇、さらにはスペインからラウタロ・ボラーニョがリモート参加した。ボラーニョの息子で、彼もまた映画監督だ。
小林さんがボラーニョの足跡をたどってスペインに行った話、ボラーニョの影響を受けていると思われる最近の映画作家の例などを話し、ハビエルがラウタロにインタヴュー、蔵書のことや子どもへの接し方、等々訊ね、ラウタロは照れながらそれに答えていた。野谷さんはガルシア=マルケスの息子、フアン・ルルフォの息子がそれぞれ映像作家になったがそんな事例の三つ目である君はどう思うかと訊ねて困らせていた。そしてボラーニョの詩「ラウタロへの詩二篇」を朗読した。
会場には韓国の作家パク・ソルメさんも来ていて、ボラーニョ好きである彼女にも質問したりした。彼女は秀逸なことを言った。こういう集まりに来るといつも思うことは、早く家に帰ってボラーニョを読みたいということだ、と。
とはいえ、その後2階で行われたワインとエンパナーダのカクテルに彼女は律儀に来ていたけれども。
おいしいワインとエンパナーダ。
……ちなみに、これは先日、池袋でみつけた生搾りオレンジジュースの自動販売機。
追記: ところで、トーク中、星野智幸さんが僕に「はらわたリアリズム」という訳語の選定のプロセスを質問した。「はらわたリアリズム」はRealismo visceral の訳。ボラーニョが実際にかかげていたのはインフラレアリスモinfrarrealismo という標語だったのだが、小説ではこれをそのように言い換えた。visceral はvísceraの形容詞形。víscera は内蔵の意味だが、形容詞としては文字どおり腹のそこからの感情などに用いる。で、『野生の探偵たち』の書き出し部分は松本健二さんの担当部分なので、あれは松本さんが作った語。担当編集者の金子ちひろさんがどう思いますか? と不安そう(不満げ?)に訊いてきたので、僕はいいんじゃないでしょうか、と応えただけ、というようなことを申し上げた。
後で金子さんがおっしゃるには、松本さんがその訳語を訳に書きつける以前に斎藤文子さんが提案されているとのこと。言われてみれば、斎藤さんと話しながら、そんな訳になるのでしょうかね、と話し合った記憶があるような気もする(少しあやふや)。ともかく、僕が提案したものでないことは確か。もっとも、僕に訊ねられても同様の訳語にしただろうが。
金子さんが「不安そう(不満げ?)」に見えたとすればむしろ「はらわた」部分ではなく「リアリズム」の部分についてだとのこと。「インフラレアリスモ」ほ「レアリスモ」とスペイン語風の表記にするなら、「リアリズム」は「リアリズム」でいいのか? とのこと。
なるほど。
そんなわけで、その場で金子さんにご発言いただくことはしなかったので、訂正。以後、僕もその思い込みを訂正しなければ。