父の日のプレゼントにはMacBook Air 15インチなど所望するものである。
僕にプレゼントをあげるような子など、いないのだけど。つまり僕はひとの子の父ではないのだが。
佐藤友美は「原稿を書くスピードは、パソコンの画面サイズにゆるやかに比例します」と断言している(『書く仕事がしたい』CCメディアハウス、2021、110)。
僕はふだん、MacBook Air 13インチを使っている。本当は家ではそれを27インチのディスプレイに接続しているので、15インチどころか、かなり大きな画面で書いているのである。だから佐藤の観測が正しいとしても、何もそれより小さな15インチ画面に心を動かされるいわれはないのだ。
が、家の中でも気分を変えるために座ったり(ふだんは立って書いている)、ディスプレイから外して文字どおりラップトップで(膝の上で)書いたりしている(こうすると案外仕事がはかどる)。そしてまた旅行や出先での仕事の際には、まさかディスプレイまで持ち歩くわけにはいかないので、そんなときには13インチのMacBook Air の画面で作業することになるわけだ。
さて、そんなわけで、外での、あるいは旅先での作業の際に、確かに、13インチよりは画面が大きい方がいいと思うことがある。とりわけ、翻訳をする場合には、こんなふうに
全画面表示を二分割して左に原文、右に訳文のファイルを置きながら作業をしている。かつては12インチのMacBook Air を持っていて、そのディスプレイのサイズがこの作業にちょうどいいと思ったこともあったのだが、最近は老眼が進んだのか、13インチでもやはりもう少し大きい方がいいよな、と思うことが多い。だから15インチのMacBook Air発売の報を聞いて欲しいと思ったのであった。
ところで、MacBook Airを大学へ持っていくことはあまりない。今では授業のプレゼンテーションはiPad mini で行っている。プロジェクターに投影したiPad mini でPDF資料(ここに直接書き込む)やノートアプリ(黒板代わりに使う)を操作するのだ。パワーポイントなどはほとんど使わない。こんなふうに(これは小さな教室なので、プロジェクターではなく、部屋のモニターに接続している例)。
軽いし持ち運びが楽だからmini にしているのだが、これも作業面積という点で言えば、最近は小ささを感じる。iPadはその他にPDF資料を読んだり、最近ではとくにそれで校正をしたりしているので、miniは少し小ささを感じる。辞書アプリを使用する分には小さく感じることはないが、ウェブブラウジングだともう少し大きいのが欲しくなる。いちおう、古い型の11インチのiPad Airもあるにはあるのだが、手軽さではやはりminiにまさるものはないのだけどな……
おそらく、緊急度から言えば、iPadを大きいのを携行することに慣れ、しかる後に、次に旅行に出るときに15インチのMacBook Airを携えていくことにする、という順番がいいのだろうと思う。
一方、僕はまだ手書きのノートもとる。以前の投稿で、こんな
ノートを作成して授業に臨んでいるという話を書いた。これは上の写真の教室で行っている「原典を読む」という授業のもの。外国語解釈の授業でこんなちゃんとしたノートを作るのははじめてのことだ。だいたいは本に書き込むだけだったから。
ノートのストックはまだまだあるので、それを消化する目的もあって、他の授業でもこんなふうに
ノートを作ってみた。これまで授業のためのノートはいつものなんでも書くノート(コモンプレイス・ブック)に書いて、その後、ワープロ・ソフトなどに書き写してファイルとして保存していたのだが(講義の場合、それをプリントアウトして話をする)、毎回、その日の分のみを読むにはこれでいいのだが、通時的に(つまり以前の回の話とかを)簡単にめくって探すことができるという点で、やはり一冊のノートをそれ専用に充てると何かと使い勝手のいいものである。
ストックはまだまだある(無地のノートを使いたいと願う時期とやはり方眼だと思う時期とが交互にくるので、両方のタイプのストックがある)。しばらくはこの方針で行ってみよう。