2023年5月24日水曜日

鹿児島県章には島がない

YouTubeにこんな動画を薦められた


緑健児の半生を紹介するアニメだ。


緑健児は極真会館の第5回世界大会のチャンピオン。極真の分裂後は新極真会の代表を務めている。動画では鹿児島県の出身としている。そのことに間違いはない。もう少し正確に言うと、鹿児島県大島郡瀬戸内町の出身だ。


さて、その緑、第4回の世界大会後、一度は引退して奄美に戻るが、そこへ師・大山倍達(極真会館の創始者にして当時の総帥)が訪ねてきて、父親に向かって世界大会まで緑を空手に集中させる環境を作ってくれるよう懇願した。そのことは本人も折に触れて語っているし、間違いないのだろう。そのエピソードを問題の動画も紹介している(25秒くらいの位置)。


しかし、である。大山倍達がインド出張からそのまま飛んできた、ということを表現するように、飛行機の航路を示す曲線は、東京から鹿児島本土までしか到達していないのだ。そうでありながら字幕には「(総裁が)我が地元まで来て下さった」と謳っている。


繰り返すが、緑の「地元」とは鹿児島県大島郡瀬戸内町だ。奄美大島の南のはずれだ。曲線の到達点のさらに400キロ近く先にあるのだ(しかも当時はまだ東京からの直行便はなかったから、曲線は一度鹿児島でバウンドしてその先にもうひと飛びしなければならなかったはず)。


僕たちの小学校の中庭には池があった(今はもうないかもしれないが)。人工の、コンクリートで囲った池で、池の中には与論島から種子島屋久島までの列島と鹿児島県本土を象った石というか島(川中島ならぬ池中島)が配置されていた。僕たちはその池を眺め、中ほどにある自分たちの島を眺め、池全体を眺めて鹿児島県という自治体の範囲を漠然と理解していた。


しかるに、昭和42年(1967年)制定という県章は薩摩と大隅の2つの半島の真ん中に赤い○(桜島を意味する)がある形になっている(リンク)。ここには島がないのだ。奄美群島やトカラ列島はもちろん、近場の種子島屋久島、そして甑島すらそこには象られていないのだ。桜がある、との反論は成り立たない。それは単に火山なのだし、大隅半島からは地続きなのだし。その大隅半島のえぐれ・くぼみはしっかりと再現されているのに、ひとつの島もないのだ。県の中央部の者たちは僕たちが小学時代に池を見て育んだ空間認識を共有してはいないということなのだ。


県章とはそうした単純化を要求するものだ。と諦めることもできるだろう。しかし、別に県章が地形を象っている必要などはなにもない。鹿児島県とは、本土のみの地形を象った県章を制定することによって三度奄美をないがしろにした(一度目は琉球征伐の際、二度目は廃藩置県の際)自治体なのだ。


そうしたことを広く日本国民全員が知らなければならないと主張するつもりはない(多くの自治体にはそうしたくくりには回収できない地域間の差異や問題が存在するはずだ)。だが、せめて緑健児を語る者にはそうした差異に気を配るくらいの意識が欲しいものである。


ましてや緑健児は空手家である。空手はその発生は明らかではないものの、沖縄への中国の拳法の導入や、島津家(薩摩≒鹿児島)による支配の際の武器の禁止などが予想されている武術だ(リンク)。戦後すぐのころまで日本式の相撲よりは琉球相撲(沖縄相撲)が盛んであったと報告されている(昇曙夢『大奄美史』)瀬戸内で育ち、空手家になった緑健児に対し、「我が地元」が鹿児島本土ではあまりにも失礼というものだ。


ちなみに、今ではすっかり日本式の相撲が支配的になった瀬戸内からは、現在、明生という相撲取りが輩出された。


念のために言うと、この記事のタイトルは、もちろん、ポール・ギルロイの ‘There Ain’t No Black in the Union Jack’ をもじっている。


あ、ところで、動画に関してもうひとつ言いたいことが。緑健児がTVアニメの『空手バカ一代』を見て極真空手に憧れたという認識は、たぶん、間違い。緑は僕よりひとつ上だが、僕たちの世代ならば、そして奄美の人間ならば、リアルタイムでアニメは見られなかったはず。漫画ならば連載中に皆、貪るように読んだ。だから漫画で知ったに違いない。