また日記を怠ってしまった。
コロナへの対処が緩和されたからだろうか、入院中の母に面会ができるようになったので、会いに行ってきた。予約制で時間を考えると、前後3日を潰さねばならず、それはそれで大変なのだ。飛行機運賃と宿泊代だって馬鹿にならない。就航当初の便ならばこの時間の面会でも日帰りだってできた、と巡り合わせに悪態をつくのは詮ないことだ。ともかく、二泊三日で行ってきたのだ。一月末には中学の同期の連中との集まりがあったというのに、ひと月ちょっとで戻ったことになる。
母の家は風呂が壊れてどうにも居心地が悪いので、今回は伝泊、ホテルに一泊、古民家に一泊(リンク)。
伝泊というのは幼馴染み、というか、近所の先輩の建築家・山下保博さんが起こした宿泊施設で、今回二晩目に泊まった古民家〈サンゴ石垣と庭木の宿〉(リンク)は実は山下さんご自身のご実家。つまり、母の家からも歩いて1分とかからないところに存するのだが、そんなのも一興かなと思った次第。なじみのようなはじめてのような……
洗濯機のとなりに、これがあった。
〈テル〉という名の編み籠だ。このベルトを額に掛けて支え、背中で背負う籠。
たった30分の面会のために三日を費やすのだから時間がある。図書館に行ったり仕事をしたり、昔なじみと酒を飲んだり、あるいはホテル泊の初日には、近くの中学に通っていたのに、よく知らなかったその集落を散歩して回ったりしたのだった(そのときの発見はこのインスタグラムの投稿〔リンク〕)。
最終日にはここを訪ねてみた。
宇宿貝塚史跡公園(宇宿は「うすき」——鹿児島市——ではない。「うしゅく」だ)
宇宿貝塚という史跡があることは知ってはいたのだが、それがこんな露出保存の記念館になっていることは知らなかった。それもそのはずで、この建物ができたのは平成の世になってからとのこと。1990年前後。いろいろと説明を読んでみると、1933年に最初に発掘された貝塚は、戦後、というか本土復帰後の54-5年に大がかりな発掘が行われ、僕らが中学生のころ、1978年にもいくつかの新発見があったらしい。それで話題にされていたのだろう。国指定史跡となったのは86年とのこと。
見学していると屋根がパラパラと音を立てる。雨が降ってきたのかと思っていると、あるところにこんな注意書きが。
なかなか粋じゃないか。ケムン(というのは、生態がカッパに類似したカッパ伝説の一ヴァリアント――と僕は思うのだが――である化け物。ここではケンムンと表記されているが、僕の語感ではこの表記にしたい)が近くに住んでいると言われていて、それが人間を歓迎したりからかったりするために騒いでいるのだとのこと。ふふふ。
僕はだいぶケムンに歓迎されたようだ。館を出るときにはまた来いよと言われた。