2021年1月27日水曜日

ふと思い出した翻訳の話

思いついた/思い出したので書いておこう。


おそらく僕がはじめて翻訳というもののあり方に頭を悩ませたのは高校生のころで、映画『ある愛の詩』(アーサー・ヒラー監督、1970)の原作エリック・シーガル『ラブ・ストーリィ』(板倉章訳、角川文庫、1972)といよりもその原書のペーパーバックを読んだ時だったと思う。高校時代のこと。1979年か80年。たぶん、『続・ある愛の詩』が封切られたのをきっかけにその翻訳『オリバー・ストーリィ』が出て、その翻訳を読み、一作目に還って読み、という流れだったように記憶する。定かではない。


映画にも使われたというか、原作小説の決めぜりふが「愛とは決して後悔しないこと」。映画はずっと前、子供のころに見ていたはずだが、原作小説の翻訳をそのころに読み、この決めぜりふがなんだか不自然に感じたのだ。で、原書を読んだ。


原文は “Love means not ever having to say you’re sorry.” だったと記憶する。映画では “Love means never having to say…” と少しだけ違っていたように記憶する。まあ同じことだが。


で、このせりふは二度出てくる。一度目はオリバー(ライアン・オニール)がジェニー(アリ・マッグロー)に対して(喧嘩か何かして、街を彷徨った後に) “I’m sorry”と言ったのに答え、ジェニーが言ったせりふだ。 つまり、「ごめん」「愛とは決して後悔しないことよ」みたいなやりとりなのだ(現物がないので、記憶に基づき引用)。ここに僕は違和感を抱いた。


で、二度目の例はジェニーの死後、それを知ってオリバーの父(レイ・ミランド)――彼もオリバーという名。彼は三世。子は四世――が “I’m sorry” というのだ。そして子オリバーが “Love means…” と。


僕は最初の決めぜりふに関しては「愛してたらごめんなんて言わなくていい」とでも訳せばいいじゃん、と思ったのだ。たぶん。が、2回目の父からの “I’m sorry” は「ごめん」ではありえないはずだ。ジェニーの病気のために子は父に借金を無心し、父はこれを断ったという前史はある。だから、そのことに対する謝罪の意もあったかもしれない。でも、それだけではないはず。「残念だ」の意味が第一に違いない。そうすると、これに対する “Love means …”は「愛していたらごめんなて言わなくていい」と訳すわけにはいかない。一方、このせりふは当然、オリバーがジェニーに言われたことを思い出して繰り返しているせりふだから、違う訳しかたをすれば、それが伝わらない。


うーむ、翻訳って難しい。そして違和感があったとしても、これはこの訳にして難局を乗り切ったのだろうし、それによって決めぜりふとして流行ったのだろうなと、納得しきれないまま納得したのだった。


今の僕なら、これ、どう訳すだろう? やっぱり難しいなあ……


ちなみに、僕がこの小説原文でいちばん気に入った表現は "smart and poor" というもの。「貧困家庭の秀才」と訳していたと記憶する。気に入って使っていた。



ある愛の詩……とは理解できないか、この写真は?