前回投稿の『ぶあいそうな手紙』以後観た映画は、エミリオ・エステベス『パブリック 図書館の奇跡』(USA、2018)、それに、Ricardo Franco, La buena estrella (1997) 。前者は寒波で図書館を避難場所にしているホームレスたちが、一晩そこに立てこもる話。監督でもあり主演でもあるエステベス演じる図書館員が人質を取って立てこもったと誤解されてしまう。後者は事故で生殖機能を失った男が、ある女とその妊娠中の子どもを受け入れ一緒に暮らすことになるが、そこにその子の父親かもしれない人物(女の孤児院での仲間でもある)が現れて奇妙な三人での共同生活が始まるという話。前者は劇場で、後者はセルバンテス文化センターのイベントで限定公開中だったものをオンラインで鑑賞。
読んだ本も何冊かあるのだが、ともかく、これ。
ティファンヌ・リヴィエール『博論日記』中條千晴訳(花伝社、2020)。バンド・デシネ、つまり、漫画だ。
中学の教師を辞めてカフカで博士論文を書くことにしたジャンヌの奮闘記。こうした時期を通過してきて、今は彼女の指導教員アレクサンドル・カルポみたいな存在になっている身としては身につまされる。日仏の事情の違いはあるけれども、微妙な差異を除けばほとんどの日本の博士論文準備中の者たちの共感を得ることができそうだ。特に文科系。
いや、特に文科系に限らないか? 終盤、いよいよ覚悟を決めて自主缶詰の準備にジャンヌが買いだめに行ったスーパーのレジ係の女性が、自身も古生物学博士であることをさりげなく言うシーンなどは、理科系も同じかと思わせる。が、一方、親戚の者たちのパーティーの席上で、ジャンヌは一向にみんなからの理解を得られないのだが、生物学で博士論文準備中のいとこの話には一同夢中になったりして、やはり、文科系博士課程学生の孤独が浮き彫りになることはなる。
博士課程に登録が決まった時の喜び、非常勤で初めて大学で教える緊張感と準備、学会発表で受ける沈黙の洗礼、論文にかかりきりになることによって生じる恋人との口論、等々、感情移入することだらけだ。(現在では、そうした学生を指導する身として、ついつい学生対応を怠けがちになる指導教員の後ろめたさが何よりも同感できる)
しかし、こうして漫画にしてみると、なんだかポップで、論文執筆の苦しさというかプレッシャーは軽減される。シャワーを浴びたり、朝、服を着る前の裸のままの姿でああでもないこうでもないと思い悩むジャンヌ、帰宅すると部屋着に着替えて肘掛け椅子に深く身を沈め、ただ読書するジャンヌ、風呂上がりで全裸のままメールの返事を書くカルポ先生、学会後のパーティーで話しについて行けず植物に姿を変えるジャンヌ(しまいには酔っ払う)、等々。なんだか可愛らしい。
博士論文を建築物にたとえたり、カルポが苦し紛れにショーペンハウアーの名を出したせいで読むことになったジャンヌの読書の過程をショーペンハウアーの絵と言葉に重ね、それ解釈しながら卑俗な妄想にふけるジャンヌの思考が描かれたりと、漫画ならではの処理も面白い(前の段落で書いた、ジャンヌが植物になるのも、そのひとつだ)。