18日(水)には、以前話題にした青山南『60歳からの外国語修行――メキシコに学ぶ』(岩波新書)の刊行記念イヴェントに行ってきた。久野量一さんとのトークショウ@B&B。
僕も1991年の4-5月の5週間、グワダラハラのCEPEに学んだ。青山南さんは、つまり、僕の後輩ということになる。実際には大先輩だけれども……
ケルアックの訳者である青山さんがスペイン語を学ぶのは、これはもう理の当然というか、必然というか、そういえば今日の『朝日新聞』の書評欄で評されていたアーヴィングの『神秘大通り』の主人公もフワン・ディエゴだし、そんなわけで、アメリカ文学の方々には大いにスペイン語を学んでいただきたいと思うのである。
で、ところで、行きの飛行機の中でガレアーノの『収奪された大地』を読み始めたという青山さんは、本書中にも多くのメキシコ関連の本を引いて、新たな読書へと導いてくれる。
トークショウでもそんな質問が出ていた。言及された本の数々をどのように選書したのかと。たとえば『トラテロルコの夜』などは?……
青山さんの著書のなかでも一番意外に思ったのが、このことなのだった。つまり、彼はスペイン語の授業の過去形の練習問題において1968年10月2日のトラテロルコの三文化広場における大虐殺を知ったのだと。そして、それから家族の方(と答えていただろうか? 単なる「知人」と言っていただろうか?)を通じて翻訳を取り寄せ、読んだのだと。
僕が意外に思ったと言ったのは、つまり、トラテロルコの虐殺のニュースは日本では報じられなかったか、それとも報じられたとしてもさしたるインパクトを残さなかったのだな、ということ。
本文には、オリンピックのことやそこでの黒人選手たちのある振る舞いのことなどは記憶に残っていると書いてある。アメリカ文学に関心を寄せていた青山さんのことだから、それは当然だろう。が、そのついでのちょっと前のこの事件(オリンピックを睨んでの処置)を覚えることさえなかったというのだから、きっと日本ではまったく報じられなかったんだろうな。
それが意外だというのは、僕はその5年後、73年ともなると、もう立派に自意識を抱いていて、その僕はその年のチリのクーデタの報道は記憶しているように思うからだ。もちろん、記憶というのはあくまでも曖昧で、それは事後的に得られたものかもしれないのではあるが……
トラテロルコの三文化広場とそこでの虐殺などについては、準備中の著書『テクストとしての都市:メキシコDF』でも触れている。来年の夏くらいの刊行予定。青山さんに献呈して差し上げよう。
むふふ。
立教のラテンアメリカ講座ではフアン・ガブリエル・バスケス『密告者』服部綾乃、石川隆介訳(作品社)を本格的に読み始めた。面白いと評判である。昨日は翻訳のあり方についての議論で盛り上がった。
昨日は帰り道、期日前投票所に寄って1票を投じてきた。
僕は「穏健なアナーキスト」などと若き日のサルトルのような定義で自らを位置づけるものであり、共産党や社会党(現・社民党)の支持者であったことはない(言うまでもないが、自民党や公明党には一度として投票したことはない)。どちらかというとオリーヴの木方式で小さな政党が離合集散を繰り返しながら政治が作られていくのが好きではある。そのために野党に票を投じ続けているわけだが、今回は、ともかく、何が何でも安倍晋三の馬鹿者を引きずり下ろさなければならないとの危機感がある。秋葉原でのABの最後の演説の異様な映像を見るにつけ、そう思う。今すぐあの男を引きずり下ろさなけはれば僕らは滅びへの道をひた走ることになる。いや、既に走ってはいるのだが……