2015年7月27日月曜日

ものが落ちる音

昨日、7月26日(日)、調布飛行場を飛び立ったパイパー社の小型単発機が付近の住宅に墜落し、3人死亡、5人が怪我をするという事故があった。死亡者のひとりは墜落された家の住人。

調布飛行場と言えば、ちょっと前まで勤務していた東京外国語大学の裏(あくまでも正門から見ればということ)にある。プロペラカフェというカフェがあって、オムライスが名物のそのお店にはたまに昼食に行っていた。カフェは滑走路と格納庫に面していた。おそらく、今回の事故機も一度ならずその中で目にしているはずだ。高所恐怖症なので、あまり飛行機に対する憧れはないが、それでも、小型プロペラ機を見ながら食事をするというのは、なかなか楽しい経験だった。カフェには子供連れの近隣住民が多く来ていた。たぶん、あのあたりに下宿する外大生も少なくはないのではないか? 

授業がきつい時にはサボってそこから伊豆大島あたりまで日帰りで行ってこようか、などと思ったこともないわけではない。高所恐怖症だから実行に移さなかっただけのことだ。

今朝はニュースやワイドショーをハシゴしてこの事故の映像をいくつも見た。滑走路の先にあるサッカー場でのサッカーを撮った視聴者提供の映像に離陸直後からフラフラしている飛行機が映っていた。そしてその映像には墜落した瞬間の音も記録されていた。ひどく生々しい音だった。

ものが落ちる音だ。僕はこの事故の前日、フアン・ガブリエル・バスケスの『ものが落ちる音』(仮)という小説の最終章の翻訳原稿を仕上げて送ったばかりだった。詳しいストーリーは言わないが、ある飛行機事故とその事故のブラックボックスの録音が鍵となる作品だ。野球場を撮ったやはり視聴者提供の映像に映った落ちていく飛行機や、墜落後の燃え盛る住宅の動画を見ながら、訳し終えたばかりの小説の内容と重ね合わせていた。この小型機にはブラックボックスすらないのだ。死んだ者の声を生き残った者に受け渡すことさえできないのだ。そう思うと、ますます悲しくなった。

何だか気の重い一日の始まりだ。本来なら訳が終わったこと、石井千湖さんによる『グルブ消息不明』の書評のこと(『週刊金曜日』7月24日号)、寄稿した立石博高編著『概説 近代スペイン文化史——18世紀から現代まで』(ミネルヴァ書房)こと、劇場プログラムに文章を寄せた『人生スイッチ』が封切りになったことなどを喜んで告知しなければならないのに……



そういえば、『人生スイッチ』、6つの短編からなるこのオムニバス映画の第1話は、飛行機が民家に突っ込む瞬間で幕を閉じるのだった。