そんなわけで、「冊」の単位に還元したらどのくらいになるかはわからないが、ぼくだって本を読む。
ところが、その本たちは授業のためだったり執筆のためだったりに読むものである割合が、このところ高くなってきた。趣味、……というか、すぐには何かに反映されないけれども読んでみた、という本が少なくなってきた。
たとえばぼくはNHKテレビでスペイン語のテキストに「現代作家の味わい方」という連載を持っていて、なるべく最近訳された小説などを紹介している。そのために読むものもある。そこで紹介するので、いきおい、ここではあまり紹介しない。
たとえば今度出る1月号ではエドゥムンド・パス・ソルダン『チューリングの妄想』(服部綾乃、石川隆介訳、現代企画室、2014)なんてのを紹介しているし、来月号ではロベルト・アンプエロ『ネルーダ事件』(宮崎真紀訳、早川書房、2014)を紹介する。それについては本文をどうぞ、というしかないのだな。
ところで、『チューリングの妄想』は面白かった。イシアル・ボヤイン『ザ・ウォーター・ウォー』(スペイン、フランス、メキシコ、2010)なんて映画に想を与えたボリビアの水戦争とパラレルな事態が電気に関して生じている架空の都市で、反グローバル化の動きをサイバースペースと現実空間で起こす集団と、それを食い止めようとする国家の情報機関との攻防を扱った小説だ。暗号解読者が主人公なので、暗号についての蘊蓄が垂れられ、推理小説とは暗号の歴史なのであったということを改めて知らされる。パス=ソルダンは「反マジックリアリズム」のマニフェストと言えるMacOndoに参加した人物だが、さすがだ。
読んでね、小説そのものと、ぼくの紹介文。
背後に見えるのは『図書新聞』12月20日号。ここに1年を回顧している。(ぼくは回顧しているのだが、他の人たちは下半期の3冊を挙げている。崎山政毅さんが『チューリングの妄想』を収穫に挙げている)