ツイッター上でフォローしているある方(ぼくより少し年上)が「わたしの人生、あと20年くらいかな」と、ふとつぶやいておられた。
それで思い出したのだ、50代半ばのころの牛島信明先生のひとことを。酒を飲んで一緒に中央線の電車に乗っていたとき、「ぼくもあと20年ほどしか生きていられない」とおっしゃっていた。ライフワークということを考えるのだと。『ドン・キホーテ』の訳だけは仕上げておきたいのだと。
ほどなくして『ドン・キホーテ』新訳を完成させた先生は、しかし、それからやはりたいして時間をおかず、鬼籍に入られた。深夜の中央線車内で「あと20年」とつぶやいてから、10年も経っていなかった。
昨日読んだ由良君美も60そこそこで死んだのだった。ぼくより10歳上の福井千春さんは先日亡くなった。
ぼくもそろそろ、人生あと20年、という視点というか思想を持たなければならないのだろうな。先日、ある女子学生が「わたしがおばさんになっても……」と口にしたときに、ぼくは口ではそれは森高千里か、などと言っていたけれども、同時に頭の中では君がおばさんになるころにはぼくは死んでるかもね、と考えたものだけれども、そういう反射神経が働いたということは、ぼくももう立派にその思想を持っているということかな?
そういえば最近、生活をシンプルにしなければ、なんて考えているのは、意識せずして「あと20年」の準備を始めようとしているのだろうか?
実際には、20年どころか20日先も見えないのだけどな。ライフワーク、なんて考えも出て来ないな……ん? カルペンティエールかな? レイェスかな? いやいや、翻訳である必要はないのか。うーん……あれと、あれと……武田千香さんは幸せだ。15年かけて読んできたマシャードの翻訳が出たのだから……
それともあれか? こんな考えに浸るのは、39歳で死んでしまった男の文章の翻訳をもうすぐ出そうとしているからなのか?