2011年4月17日日曜日

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田村さと子『百年の孤独を歩く——ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』(河出書房新社、2011)
ご恵贈いただいた。

『謎解きミストラル』(小沢書店、1994)でガブリエ・ミストラルを論じた田村さと子が、今度はガブリエ・ガルシア=マルケスについて書いたもの。作家本人との「四半世紀」のつき合いを謳ってはいるけれども、実際には2005年くらいからこの本を書こうとの意図をもってなされた旅の記録。ガルシア=マルケスの作品世界ゆかりの地を歩き、本人や親族たちに会見する田村さんの記録だ。

Hannes Wallrafenのすてきな写真のカバーを開いてみれば、序章では著者とガボとの出会いが語られている。これがキャッチーな話。「健次君」こと中上健次がどうしてもガルシア=マルケスに会いたいと言ってきたというのだ。ちなみに、二人は幼なじみで、おなじ中学の文芸部に在籍していたらしい。だから、「健次君」なのだ。その健次君に頼まれて、つてを辿ったはいいが、結局、健次君抜きで会うことになったとのこと。そしてインタビューを取り、それを『朝日ジャーナル』誌上に掲載した。

そこでぼくも記憶が蘇ってくるのだ。ぼくはこの『朝日ジャーナル』誌上のインタビュー記事を読んだことがある。まだ学生だったころ、リアルタイムで触れたのだった。そのときの発言なども後々、引用されていて(たとえば、川端康成に触れて、ガボ自身を耽美派だと称しているくだりとか)、記憶が新たにされる。なるほど、旅はここ5年くらいのものだったけれども、「四半世紀」かけた取材の成果といえるのだろうなと思う。最終章の「カルタヘナ」は去年『文學界』に発表した文章を展開したもののもよう。他にも、そのように先行して発表されたものがあるのかもしれないが、くわしくは知らないので、ともかく、読む。

第1章の「グアヒラ半島」はとりわけ、本当に「歩く」「旅」といった感じが強く、友人の女性たちと3人で連れたって、ベネズエラ国境に近い、ワユー族などの先住民も多い地域の町々を訪ねて回った記録。その中に、こうした旅の重要さを伝えるハイライトがある。半島の突端、ラ・ベラ岬からマイカオという町に行ったときのこと。

 マイカオに入ると商店だらけである。どの通りにも店がぎっちり入っている建物が並んでいて、その間の通りに張られたテントでは衣類やら靴やらの商品が山積みされている。なんとなく写真で見たことのあるアラブの市場のようだ、と思っていたら、働いている人たちの服装のせいだった。ここはコロンビアでアラブ系の人たちがもっとも多く住む町で、南米で一番立派なイスラム教寺院きがある。ほとんどはシリアやレバノン、パレスチナ、ヨルダン出身なのだが、彼らが十九世紀末にコロンビアにやってきた当時、中東をオスマン・トルコが支配していたので、トルコのパスポートを所有していた。それでこの国ではアラブ人のことを今も「トルコ人」と呼んでいる。おそらくマルケス作品にしばしば登場するトルコ人街は、ここでみているようなアラブ人街の光景なのだろう。(49)

「ラテンアメリカ」、先住民、混血、etc. などという紋切り型のイメージにとらわれていたのでは、ガルシア=マルケスのテクストに出てくるアラブ人、「トルコ人街」、逃亡奴隷の影などは見落としてしまうだろう。気づくことが肝心なのだ。マイカオのような町がある。つまりコロンビアにはぼくたちが想像する以上のアラブ人がいる。人口統計などではわかってはいても、それだけでは見えてこない雰囲気のようなもの、それを把握すること。その雰囲気を感じとるのがこうした旅の最大の成果。

世界遺産に登録されている、フランチェスコ・ロージの映画版『予告された殺人の記録』のロケ地モンポスを訪ねた4章「マグダレーナ河」などはもっとたくさん訪ねて、書いて欲しかったところ。だが、文句は言うまい。なにしろ、ゲリラの活動などで危険極まりない地帯。ゲリラに加わるために旅をしていたと思われる少年たちと話したりと、後から思うと冷や汗の出そうな旅だったのだから。