IX
ボルヘスの場合は、プロット1があるジャンルとなり、プロット2はいつも同じだ。秘密のプロットのこの単調さを弱める、またはごまかすために、ボルヘスはジャンルを変えることによってもたらされる変化に頼る。ボルヘスの短編はどれもこうした手続きで作られている。
チェーホフの逸話をボルヘスが書けば、目に見えるプロットは、つまり作品全体は、何らかのジャンルの伝統の紋切り型(軽くパロディ化された)にしたがって語られるだろう。おたずねもののガウチョ(たとえば、だ)たちがエントレリオス州の平原にある居酒屋の奥で興じるタバの賭け〔訳注:牛の骨——タバ——などを投げて競う賭け〕といったところだ。それをイラリオ・アスカスビ〔訳注:アルゼンチンの詩人。1807-75〕の友人にして〔フスト・ホセ・デ〕ウルキサ〔将軍〕の騎兵隊員だった男が語るのだ。自殺のくだりは、ひとりの男の人生が彼の運命を決することとなったたったひとつの場面もしくは行動に凝縮された多面的な行動として語られるだろう。
うむ。最後は笑ったな。「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」だな。さすがにピグリアは鋭い。
書斎にはリファレンス類を机の一番近いところに置いておく。これがぼくらが常にとらわれているオブセッション。ぼくの机の周囲には辞事典類が並ぶことになる。本棚ほぼひとつが辞事典類で埋め尽くされている。(ぼくのオブセッションでは個人的に過ぎるだろうから、なんなら、ボルヘスの読書係も務めていたアルベルト・マンゲルの『図書館』を参照されたい)
我が家にあるリファレンス類のうち、アカデミアのスペイン語辞書、『ランダムハウス英和辞典』、『大辞泉』、『日本国語大辞典』がネットに接続可能なことにより、そして『西和中辞典』、『大辞泉』、『リーダーズ英和辞典』、Oxford English Dictionary(いわゆるOEDではない)およびそのTheasaurusがiPadまたはiPod touchに入ったことによって、María MolinerがPCに入ったことによって持ち運び可能になった(加えて、もとも持っていなかった『ブリタニカ』———れの英語版CD-ROMは持っていた———『類語新辞典』を持つ)ことは、こうしたオブセッションを満足させる。
しかし、同時に、それらの辞事典類を置くために必要だったスペースが不要になるということが嬉しい限りじゃないか。ポルトガル語やイタリア語、フランス語の辞書なども電子化していけば、ますます身軽になれるな、と夢見る。夢見るばかりで仕事をしないから困るんだ、ぼくの場合は。
さて、今日は秘密の仕事と別の秘密の仕事をして、それから秘密の場所に行って、そして大学に行って菊地成孔の講演でも聴こう。