2009年9月4日金曜日

自己満足とリアリティ

ペドロ・アルモドバル『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(スペイン、1987)を久しぶりに見ていたら、俄然ガスパチョが飲みたくなった。睡眠薬を入れたガスパチョをロッシ・デ・パルマが間違って飲んでしまうことからいろいろとドタバタが起こる映画なのだ。あれを見てガスパチョを飲みたくならないでいるのは難しい。ピーマンはなかったけれども、トマトはあったのでトマトとタマネギだけで作った。もちろん、睡眠薬は入れなかった。おいしい。分量を考えてニンニクを少なめに入れたつもりが、逆にニンニクが存在感を示していた。

でもおいしかった。残りは明日のために取っておこう。

昨日はそういえば同じアルモドバルの『マタドール』(1986)を見た。それもこれもある仕事のためだ。『マタドール』では、冒頭近く、ナチョ・マルティネス演じるディエゴが闘牛のスウィートスポットについて講義するシーンがある。「針の穴」と字幕では訳されていたその場所(El hoyo de las agujas つまり字幕は直訳だ)に絶妙の角度で剣を突き刺すことによって牛は簡単に仕留められるのだという話。それとのクロス・カットで、女弁護士マリア(アスンタ・セルナ)の犯罪が展開される。彼女はまさにその「針の穴」の場所に髪留めを突き立てて人を殺す。この対応がわかりやすい。

このシークエンスにおける講義内容、これは映画内での主題を示唆するだけでなく、ストーリーにリアリティを付与する。こうした細部をうまく作らなければ脚本は生きない。この箇所を書くに当たって、アルモドバルは闘牛術の本の一冊も読んだのかもしれない。勉強したのかもしれない。「勉強したのかもしれない」と思わせる箇所があることがストーリーテラーの成熟を保証する。……こんなことを書くのは別のある仕事が念頭にあるから。

練習だ。