2010年4月5日月曜日

新たなゲラ


今日いただいた、新たなゲラ。ここからわかることは2つ:横書きであること;そして二色刷であること。

さて、何の本でしょう? 楽しみ♪

外大生などはこんなのに反応して「面白そう」なんて言うんだよな。いや、実際、面白いけど。たぶん。ぼくも楽しみながらやった仕事なので。

2010年4月4日日曜日

白熱教室


プロメテウスという名のホールを含む多目的会館アゴラ・グローバルが大学にオープン。その中にカフェ〈カスタリア〉が店を開けた。昨日は新歓の日で、ぼくが顧問を務めるサークルの者にちょっとした頼まれごとをしたので、顔を出し、ついでにそのカフェでエスプレッソなどを飲んできた。写真はオープン直前の会館。コンクリートの台座部分に今では木製のベンチが据え付けられ、入り口横にはカスタリアの看板が出ている。

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『メモリアス――ある幻想小説家の、リアルな肖像』大西亮訳(現代企画室、2010)

セルバンテス賞作家シリーズなのだが、どうやらこのシリーズはやはり、エッセイに特化するつもりなのだろう。かろうじて予告されているフアン・マルセーやフランシスコ・アヤーラのスペインの作家2人は小説が出るらしいことは救い。

阿部和重『ピストルズ』(講談社、2010)

などと同時に手に取ったら、そりゃあ、後者を読み始めてしまう。小説とエッセイじゃあ読み方が違うのだから、どうしたってこの優先順位になる。ただし、ビオイのやつはエッセイとは言え、自伝なので、少しは小説のように読めるのは幸い。他に、

鹿島茂『パリの秘密』(中公文庫、2010)

NHK教育で「ハーバード白熱教室」などという番組が始まって、ええ、そりゃあFD(今となっては懐かしいフロッピー・ディスクのことでなく、ファカルティ・ディヴェロップメント。学部=教員=技能の開発、だ)などとうるさい昨今のこと、名にし負うハーヴァードで千人からの学生が詰めかける人気授業というのがどういうものかと、後学のために見た次第ですよ。

Justice: What's the Right Thing to Do? (Farrar Straus & Giroux, 2009) などの著者Michael J. Sandelの授業だ。たぶんこの本の基になった授業なのだろう。「正義」とか「公共性」、「四人の人間を助けるためにひとりを殺すことは正当化できるか」などといったことについて、本当に千人以上いるのだろう三層の講堂で、学生に質問をぶつけながらの授業。まず問題設定、そしてそれに関係する事例紹介、そして学生に疑問を投げかけ、質問とやりとりで興味をぐっと惹きつけてから、肝心の内容を講義するという形式。ベンサムやらカントやらを引きながら、公共性、定言的道徳原理などの話を展開する。

こうしたときの常で、いじましいぼくは副音声にして吹き替えでなく英語で聞いていて(リスニングの練習だ。本当にいじましいだろ?)、だからところどころよくわからない箇所もあったが(……いや、本当はところどころわかった、のかもしれない……コーヒーを淹れたりしながらだったし、……と言い訳)、まあそれほど晦渋に陥るでもなく、クリアな語り口だった。後半は原稿を読んでいて、ちゃんと「講義」なのだなと感心。

大講堂での授業がハーヴァードでも行われているというのが驚きではあったが、サンデルの投げかけた質問に学生が手を挙げて答えているところなどを見るにつけ、こうした光景は、しかし、日本の大学の授業では生まれにくいだろうなと、暗澹として思う。文化のあり方の問題だ。大学生にもなれば教室で教師からの質問に自ら手を挙げて答えたがる学生など多くはいない。彼我の差は大きい。だからまったくこれを真似た授業などできるはずもない。と思う。

でもまあ、それなりに考えさせられるところはあった。

ところで、1時間のこの番組、約30分ずつの2回の授業が紹介された。大講堂で学生に質問して答えてもらいながらだから、TAにマイクをそこまで運ばせたりするのに時間がかかるはずで、きっとそうしたもたつく無駄時間はカットされているのだろうが(だから実際以上にリズミカルに見えるのだろうが)、実際には1つの授業は何分からなるのだろうか? 1時間くらいだろうか? 日本の大半の大学のように90分では、少し間延びするのは避けられないのだろうか?

2010年4月2日金曜日

a ciegas

ペドロ・アルモドバル『抱擁のかけら』(スペイン、2009)

最終日にかろうじて。2008年現在から見て14年前の、ある失敗した映画の記憶を、その映画の成り行きから起こした事故で視力を失った元映画監督(現脚本家)が回想し、その傷から癒え、編集し直すという話。失敗した映画というのが、アルモドバル自身の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』を一部パロディ化しながら再現するようなもので、ロッシ・デ・パルマやチュス・ランプレアベなども出演。

最後のセリフは「映画は終わらせることが大切。たとえ手探りでも」というような内容だったが、「手探り」というのが、a ciegas(盲目の状態で)という表現で、なんだ、要するにダジャレか、と……

しかし、ところで、エンドクレジットをぼんやりと眺めていてぼくはびっくりした。COMPOSICIONというスタッフの一員にソンソーレス・アラングーレンの名が! 『エル・スール』で8歳のエストレーリャを演じていた彼女だ。

撮影はゴンサレス=イニャリトゥと組んで知られるロドリゴ・プリエト。

2010年4月1日木曜日

生きにくい


4月1日である。エイプリルフールである。ぼくが子供のころ身につけた言語によれば4月馬鹿である。

何か嘘をつかねばというオブセッションを抱かねばならないのじゃないかというオブセッションがある。そんなオブセッションに突き動かされていると、嘘などつけない。考えつかないのだ。本当に嘘をつかねばというオブセッションにまで達しないのだから。なにやら生きにくい。

溜まっていた原稿、書き終えました。

なんて嘘は悲しくなるだけだ。

溜まっていた原稿、破産宣告してすべて放棄します。

できたらこんな嬉しいことはないのだけど、どうせできないに決まっているから、よけいに悲しい。

いっそのこと書いている原稿の中に嘘を込めてしまおうかと思うのだが、それはまあだいたいいつもやっていることだから、新味に欠ける。しかたがないから粛々として原稿を書く。

でも終わらない。

2010年3月30日火曜日

身もだえする


チーズまんじゅう(これが絶品)やらかりんとうやら、いろいろとお土産をいただいた。ワインやサフランも。せっかくサフランをいただいたのだから、パエーリャでも作ろう。そのうち。

瀧本佳容子「アメリカ『発見』前夜のスペイン文学」は昨日挙げた『ラテンアメリカ 出会いのかたち』に所収のテクスト。ここで瀧本さんはスペイン留学中の話を書いてらっしゃる。マドリード・コンプルテンセ大学大学院の雰囲気とその変化も大いに気になるところだが、一度目の留学の際に聴講したという学外講義の話が何よりも身もだえするほどうらやましい。

王立アカデミーと名誉教授自由学校で講義を受けたというのだ。後者では『スペイン語の歴史』のラファエル・ラペサの講義に出たと。学生やかつての彼の学生だったような年配の人などが出席していて、一度など、質問も出ないくらいずっと彼の話を聞いていたいとみんなが思っていたのだと。何とも唸らせる話だ。

フランスにはコレージュ・ド・フランスという、大学とは異なる一般人向けの学びの場がある。フーコーなど、フランスの名高い知識人の多くは、ここの教授だった(ミーハーなぼくは、この前で記念写真を撮ったことがある)。コレージュを手本に、メキシコにはコレヒオ・ナシオナルというのができた。大学院中心の教育研究機関コレヒオ・デ・メヒコと同じく、アルフォンソ・レイェスがその設立に尽力したのだが、実はぼくはこのコレヒオ・ナシオナルについて多くを知らない。なんとも恥ずかしい。で、この名誉教授自由学校というのは、大学教授に定年制が導入されて以後、サンタンデール銀行などが出資してできた学びの場だというのだ。そこでラペサが、お付きの人に支えられながらも登壇し、しかしかくしゃくとして最新の知見を披露する講義を行ったというのだ。瀧本さんはその現場に立ち会った。ああ! 

確かに、若いころのぼくは、大学でも授業なんてほとんど出なかったし、偉い学者の話などたいして聞きたいとも思わなかった。それは多くの場合、日本の知識人が、面白いものを書く人でも話がへただったりしたからだ。少なくとも若いころのわずかな経験では、そのような観測を得たからだ。たぶん、話の面白い人だってたくさんいるだろうとは思うのだけど。まあともかく、大学の先生などは話が下手だな、と思う人が多かった。下手でなくとも、もどかしいなと思っていた。これではひとりで読む方が速いなと。

話の下手な人、少なくとも上手くなろうという意志の感じられない人、聞く者の気持ちを考えずに話す人への嫌悪感は相変わらずあるが、でも誰かの話を聞くことというのは、話の内容などとは無関係に、ある種のパフォーマンスへの参加として面白いし、重要なことだと思う。だから誰それのいつの話をどこそこで聞いた、などという話を聞くと、嫉妬を感じてしまう。ましてや、誰でも自由に、無料でその人の話を聞ける場があるということにはうらやましさを感じる。

2010年3月29日月曜日

これを何と呼べばいいのだろう?

ポストに見いだし献本は:

清水透・横山和加子・大久保教宏編著『ラテンアメリカ 出会いのかたち』(慶應義塾大学出版会、2010)

先日定年退職した編者清水透氏の周囲に集った、慶應義塾のスペイン語スタッフ(兼ラテンアメリカ研究者+スペイン研究者)たちが、自らのラテンアメリカ研究とのかかわりを語ったもの。フィールド派の歴史学者たる清水氏自身のスタンスを借りた14名の語る主体とのかかわりにおけるラテンアメリカ。

散歩がてら近所の書店で買ったのは、

マルカム・ラウリー『火山の下』斎藤兆史監訳、渡辺暁、山崎暁子共訳(白水社、2010)

1930年代のメキシコ、クエラナバカを舞台にした傑作小説の新訳。リベラの絵の表紙が美しい。まさに小説が展開するその名も「死者の日」を扱った絵。

ところで、パラパラとめくって最後まで達したら、なんと、次に出るぼくのかかわる本の予告が打たれているではないか。ああ、いよいよなんだな。その前に「あとがき」の校正をしなきゃ。

と思ったら、何だか赤ペンが進まない。はて……?

翻訳の校正なら、まさにそれにさいなまれていたのだった。勝手知ったものだ。編集者が鉛筆で指摘した箇所に気を配りながら、原文を見て、ときには原文から離れて、日本語を声に出して読んで、よりよい表現を探し、あるいは間違いを正し、……

うーむ。しかしここには「原文」がない。困った、翻訳でないものの校正ってどうやるんだっけ? 

別に初めての経験でもない。これまで数百ページ分も自分の書いた文章の校正をやってきているはずなんだけどなあ……。この仕事が終わった後も、休む間もなく次の著書(140ページくらい)の校正が始まるはずなんだけどなあ……。おかしいなあ……。

怒濤のような翻訳の校正の後に、翻訳でないものの校正のしかたを忘れたようになる。この現象を、人は何と呼べばいいのだろう?

2010年3月27日土曜日

卒業式

昨日は卒業式だった。いわば平の教員である身としては式に参加する義理などないのだが、今回は代理で出なければならず、出てきた。

外語の卒業式は生涯一度のこととして参加する身にはとても見物かもしれない。二度以上参加する身には苦痛だ。

1専攻語につきひとりの代表が卒業証書を受け取る。その際、専攻の卒業生数と代表学生の名前を読み上げる教員が、専攻語で短めのスピーチをする。日本語も含め26もの言語によるおめでとうが聞けるということ。これが大変だ。あらかじめスピーチは1分くらいにと言われるのだけど、それで済むはずもなく、ひとり3分、5分、7分と延びていく。都合、延々2時間ばかりの(大半は理解できない言語による)スピーチが繰り広げられることになる。

なんでも、今年退職されるドイツ語の先生が始めたことらしい。最初は「欧米第一課程ドイツ語専攻、卒業生60名、代表、●●」とやればそれでよかったらしい。ところがその先生、ドイツ語でスピーチを始めたというのだ。慌てたのはフランス語以下の24専攻語の先生たち(順番は英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、……となるので)。調子を合わせねばならないのかと思ったのか、それとも対抗意識か、それぞれの言語でスピーチをしたという。これが好評で、翌年からおきまりの儀式として定着したのだとか。

だいたいはネイティヴ・スピーカーの先生たちにやってもらう。ところが今年、スペイン語は専任のスペイン人の先生の入れ替わりの時期で、お願いすることができず、専攻語代表の先生は出張でスペインに行っている、新人が2人、図書館長として前に出ていなければならない人、などという陣容なので、仕方なくぼくがこの呼び込みの役を務めることになったという次第。それでボウタイなどを締めて行ってきたのだ。

スピーチ内容は、また後日。今日はこれからカンヅメだ。

2010年3月25日木曜日

眠い!

この2日、ベッドに横たわっていない。机上で仕事しながらうつらうつらする以上の睡眠を取っていない。

だというのに、今日は会議で、朝もはやくから大学に。ポストに見いだした献本が:

Gregory Zambrano, El horizonte de las palabras: la literatura hispanoamericana en perspectiva japonesa (Tokyo: Instituto Cervantes Tokio, 2009)

友人のグレゴリー・サンブラーノが、日本のイスパニスタ、ラテンアメリカ文学者にインタビューしたもの。不肖わたくしめもイタビューいただいているというしだい。年長では鼓直さんくらいからはじまって、40歳前後の人までのインタビュー集だ。

ありがとう、グレゴリー。

明日は卒業式♪

2010年3月23日火曜日

いただきました♪


よくオンライショッピングで利用するスペインの書店、Casa del Libro 。先日そこに注文したものが今日届き、その中に入っていたバッグ。以前、違う形状の緑色のものをもらったことがある。今回は肩から提げられるようになっている。

2010年3月22日月曜日

本の日の贈り物

4月の23日(金)は本の日。そんな日に、こんなイベント、やります。

ぼくが現在、周囲の人々に対して不義理をしているとしたら、この準備に忙殺されているんだと思ってくれ。