2017年1月4日水曜日

大掃除せずに散乱してしまった

数日前からある本を探していた。

僕は根が軽薄なせいか軽い小さな本に愛着があって、自分でも100ページに満たないような本を書きたいものだと思っているのだが、日本の本はなかなかそんな短いものがない(詩集などを別にすれば)。で、僕自身が書くか書かないかという問題ではなく、そんな薄い本をけっこうたくさん持っているのだ。その中でもとりわけ小さな本のシリーズのうちの1冊を探していた。メキシコのフォンド・デ・クルトゥーラ・エコノミカ社(FCE)が出しているCentzontleというシリーズの1冊だ。

こうして見つからない本を探していると、見つからないなりに自分の蔵書を再発見することになる。

こんな風に傍線や書きこみを見つけて、俺はちゃんとこんな本を読んでいたんだな、と改めて過去の自分の勉強熱心さに感心したり(当時の特徴で線が細いので、写真ではよく見えないかも)。ちなみにこれはフーコーの『監獄の誕生』。この間、ある文章でフーコーの名を挙げたので、不安になって見てみたら、ちゃんと読んでいたのだよ。

僕が持っている中でももっとも奇妙なのが、この本。エメ・セゼールの『奇跡の軍』
              
ところが、中を開けてみると……
              
ブルトンの『ナジャ』!

なぜ買う前に気づかなかったのだろう、この世紀の乱丁!?

まあいいや、欲しかったのは、これ:
               
Benito Pérez Galdós y Manuel Gutiérrez Nájera, Tranvías (México: FCE, 2004)

わずか80ページ。ペレス=ガルドスとグティエレス=ナヘラが書いたトラムを巡る短篇をひとつずつ収めたもの。

ペレス=ガルドスはマドリードの都市化に敏感だった人で、マドリードを舞台とした彼の小説にはその様子が生き生きと読み取れる。1870年代に始まるマドリードのトラムを、そんな彼が小説に取り込まないわけはない。かつて僕が一篇まるごと訳を作り、送付したのに、編集者とのやりとの勘違いでいまだに活字化されていない『トリスターナ』(もちろん、ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』の原作)でも、ドン・ロペがトリスターナの浮気の噂を聞くのはトラムの中だった。当時はまだ二頭立ての馬が動力だったはずなので、路面電車ではないトラムだ。ブニュエルの映画化作品は、舞台を同時代のトレードに移しているので、トラムなどは現れない。


日本の文庫本より少し大きめの版に総ページ数80。こういう本って好きなんだけどな。