2011年8月13日土曜日

夢見るは映画


いささか旧聞に属するけれども、ちょっと前に『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』を観た帰りに、電車の中でつらつらと考えたこと。「ラテンアメリカ文学のブーム」を題材にしたドキュメンタリー映画が撮影されることはないのだろうか? ということ。「マリオとガボ、そしてカルロス、それぞれのブーム」

ホセ・ドノソとか、ブリニオ・アプレーヨ・メンドーサなんかの書いたものをベースに、ミゲル・リティンあたりが監督して、字幕監修は野谷文昭。「サバトの本の帯に『サバト、ボルヘスのライヴァル』なんて書かれることはあるのだけど、不思議なもので、私の本の帯に『ボルヘス、サバトのライヴァル』って書かれることはないんですよ」などと茶目っ気たっぷりに話すボルヘスとか、「ハイブリッドだから文化ってのは優れたものになるんだ」などとまじめくさった顔で語るカルペンティエールなど、前の世代の記録もふんだんに取り入れて、「わたしが近くのハンバーガー屋で肉をもらって、ガボの傷に当てたんですよ」とバルガス=リョサによるガルシア=マルケス殴打事件を回想するポニヤトフスカの映像で締めくくる。

どうかな? 

こんなことを書くのは、思いのほかゲラを見るのや採点するのに苦労しているからだ。当初の見積もり以上に時間がかかっている。これからもかかりそう。やれやれ。

仕事の合間に、谷崎潤一郎『少将滋幹の母』(新潮文庫、1953)なんてのに目をくれたりしている。

 月の光と云うものは雪が積ったと同じに、いろいろのものを燐のような色で一様に塗り潰してしまうので、滋幹も最初の一刹那は、そこの地上に横わっている妙な形をしたものの正体が掴めなかったのであるが、瞳を凝らしているうちに、それが若い女の屍骸の腐りただれたものであることが頷けて来た。(116ページ)

という、あの不浄観を扱った小説だ。これは別に映画では観たくないな。

2011年8月12日金曜日

レンズは21mm単焦点

大学の広報誌に西ヶ原キャンパスのことを書けと言われ、例によって安請け合いした。基本的にアウトソーシングでやっているので、担当している会社の方に、資料として現在の跡地の写真や、かつてのキャンパス写真、かつての広報誌だかイヤーブック(なんてシステムは日本にはないように思うが)だかに載った写真の数々などを送っていただいた。

写真は、ちょうどぼくが在学していた時期のものらしく、知った顔がやたらとたくさん見られた。

昼食はカルボナーラだったのだが、作りながら、ふと思い出した。そういえばこれ、大学近くのサニーというお店でよく食べていたメニューであった、と。サニーはカレーとスパゲティがおいしいお店で、でもチキン・ピカタなんかもあって、夫婦ふたりでやっていたのだが、大学の移転が決まったころに店を畳んで、もう卒業後、ぼくの同期の者が言うには、オヤジさんが司法試験を受けると頑張っている、なんて都市伝説までできて、……

そんなことを考えていたら、パスタを茹で終わるころには、いろいろな文章の可能性というか道筋というか、そういったものが見えてきて、でもこの方向性で行くなら、資料だけからでは把握できないある種の事物のあり方を確認しないではいられない、という気になって、思い立ったら吉日で、行ってきた。

西ヶ原みんなの公園。東京外国語大学跡地。本部棟のあたりからグラウンドにかけてが公園になっているのだ。四号館つまり研究室棟のあたりが特別養護老人ホーム(これを言うことに何の他意もない)。その他の場所、教室棟や講堂などのあったところが集合住宅になっている。

ぼくが今日、何を確かめたかったかは、まあ文章を書く上での、いわば企業秘密だ。うまくいくかどうかはわからない。収穫もあり、期待したほどのものが得られなかったところもあり、いろいろだ。

2011年8月9日火曜日

感慨にふける


昨日、ある本を求めて神保町に行った。古本屋をいくつか回ったついでに三省堂やら書泉グランデ、東京堂書店に行ってみるのは欠かせない儀式だ。とりわけ東京堂書店は配列の妙で知られた書店。ここで人は世の流れを知ることになる。

入って右手の階段を2階に上がると、そこは外国文学などを置いてあるフロアだ。その階段の上がり端、企画陳列の棚の、一番最初にあったのが戦争と世界文学のコーナー。戦争を扱った小説の数々の、ちょうど160-170cmくらいの標準身長の人の目の高さに、これがこんなふうに置いてあったりしたら、ちょうど10年前に初の単独訳としてこれを出版した訳者としては、涙もでるというもの。

アレホ・カルペンティエール『春の祭典』(国書刊行会、2001)

思わず携帯電話で写真を撮ってしまった。

2011年8月8日月曜日

刺激とやる気……口中にも……

8月5日に書いた、前日のジュノ・ディアスのシンポジウムでの発言に関する記事、あの最後の段落は、実は、いったんブログに記事をアップした後に思い出して書き加えたもの。そのことの後悔があるせいか、ほぼ同じ内容をツイッターにも書いた。

ツイッターは自分を宛先にしたツイートや、自分の書いたツイートをリツイートした人の情報などを確認することができる。どうもジュノ・ディアスのこの言葉を紹介したツイートに対する反応が多いと思ったら、今見たら、100人を超える人がこれをリツイート(再生産だ。引用だ)しているらしい。作家になりたい人が多いのか、それとも仲間を希求している者が多いのか? 

今朝、ぼく宛てにこんなツイートがあった。「日本の作家の先生方だとそんな弱い意志なら辞めちまえと言いそうだ・・・。」何についてのコメントかを明示していない。引用もしていないので定かではないが、おそらく、このディアスのことばについてのコメントだろうと思われる。そうだとして、この人の意図はわからない。「日本の作家の先生方」の名を借りてディアスを(あるいはそれを紹介したぼくを)批判しているのか、それとも、単に「日本の作家の先生方」に恐れのようなものを抱いているのか(実際に言われたわけでもなかろうに)、あるいはその恐れのようなものに仮託してディアスに賛意を表しているのか? 

どちらの立場であったとしても、事実として誰かが言ったわけでもない「日本の作家の先生方」の言葉を基に、このツイートを書かれた方に論争を吹きかけるつもりはない。単なる感想だ。誰を仮定しているのか知らないが、「日本の作家の先生方」の中に、「作家志望だけど挫けそう」な青年に対して「そんな弱い意志ならやめちまえ」(「辞めちまえ」は妥当な漢字でないと思うので)と言う人がいるだろうか? いるとしたら、ぼくはそんな「作家の先生」の書いたものは読みたくないな。

つまり、人がなんらかの職業に就きたいとの意志を抱いたとして、それを堅固に維持することは本当に可能だろうか? ということ。可能だと信じている人などがいるのだろうか? ということ。そんなはずはないじゃないか、ということ。

ぼくはことさら、「意志」というものを抱いたことがない。意志決定とは選択だが、選択は常に本能的に、瞬時の判断で行ってきたと思う。そんな生き方だから、ぼくの中にあるのは将来に対する不安と、過去に対する後悔だけのような気がする。だいたい、ぼくは大学教師とかスペイン語文学の研究者になりたかったというよりは、カルペンティエールの作品を愛していたのであって、それがさまざまな刺激と選択の結果、今の仕事をしているのだ。「○○になりたい」という意志など不要だったし、それで良かったと思っている。

でも刺激とやる気、それにそれを与えてくれる仲間は必要としている。切実に求めている。授業が終わると講演会やら何やらに出かけてばかりいたのは刺激を求めてのことにほかならない。

土曜日にはプラセンシア『紙の民』を読み終えた勢いを駆ってそれについての柴田元幸×藤井光トークショーを聴きに新宿のジュンク堂まで行ってきた。白水社の本のイベントだったので、馴染みの編集者に誘われて、打ち上げの席にも就いた。トークショーの最中から藤井さんが最近のアメリカ文学の事情に通じること驚嘆すべきものがあると言っていた柴田さんが、その打ち上げの席で「藤井君はどんなところから情報を得ている?」なんて質問しているのを聞くと、アメリカ文学者ではないぼくだってやる気が新たにされるというものなのだ。

ま、ぼくはその横で別のさる翻訳家と、これまでに飲んだ究極の黒糖焼酎の話などをしていたのではあるが……

で、銘柄を忘れていたその焼酎を探し出し、これではないかと思われるものがあったので、注文してみた。そしてそれが届いた。「南の島の貴婦人」@朝日酒蔵。味見してみた。午前中から。ぼくの記憶とは少し違うので、あるいは本当はぼくが求めていたものは、同じ酒蔵が作った別のものかもしれないのだが、これはこれで美味。教えて差し上げなきゃ。

こういったことも、刺激とやる気のもと……なのか?

2011年8月6日土曜日

土星との戦いを拡大せよ

サルバドール・プラセンシア『紙の民』藤井光訳(白水社、2011)

いつまで経っても寝小便をしてばかりのフェデリコ・デ・ラ・フェが妻メルセドに逃げられた後、娘のリトル・メルセドを伴ってアメリカ合衆国に移住、エルモンテという移住先の町で作ったエルモンテ・フローレス(EMF)というギャング団とともに、彼らを支配する存在である土星との戦いに挑む、という話。こう書けば何やら宇宙船でも出てきそうな雰囲気だが、そうではなくて、土星というのが実はサルバドール・プラセンシアという名であることが途中で明かされる。戦争というのはこの土星の作り出す世界での支配権を巡るもので、つまりは作者と登場人物の覇権争いということになってくる。

親子は移住の前にエル・サントとタイガーマスクのルチャ・リブレ(プロレスだ)の試合を見、移住の途中、紙でできたその名もメルセド・デ・パペルや、予言者たる子供ベビー・ノストラダムスに出会い、彼らの物語も発動しだす。それがつまり小説の世界が立ち上がるということだけれども、この世界を作っているのは物語内容だけではない。3つのストーリーを同時進行で語る段組形式などのレイアウトもまた世界の成り立ちに寄与している。

となるとこれは二重の基軸によるメタフィクションのようなものと言うことも可能かもしれない。ポストモダン小説だ。かつて高橋源一郎が書いたとしてもおかしくないような話だ。

でも、これをポストモダン小説などと断じるよりも前に、ぼくの立場からは明言しておきたい。この小説が発しているのは、強烈なメキシコの、そしてUSA西海岸チカーノ社会のむせかえるような臭気だということ。この臭いと意匠との配合具合が絶妙だ。ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオ』が、本人がニュージャージーのリアリティを強調していたように、そのスペイン語の頻繁な使用やドミニカ共和国との繋がりにもかかわらず、その種のラティーノ社会的臭気がそれほど気にならなかったことに比べて対照的だ。

訳者の藤井光はプラセンシアがガルシア=マルケス『百年の孤独』を三年間読み続けたというエピソードを真っ先に紹介しているが、この小説がガルシア=マルケス的であるととりわけ意識されるのは、中ほどの16章でなされる明言:「ベビー・ノストラダムスは『紙の民』の結末を知っていた。簡素な十七文字の、「悲しみに続編など存在しないのである」という文で締めくくられるのである」。

しかし、たとえば、読者は写真のようなページ構成の遊びに耐えられるのだろうか? こうして文章の一部が塗りつぶされたり、途中から掠れていったりと、いろいろな仕掛けがしてある。

――耐えられるにきまっているじゃないか。先日、ジュノ・ディアスが言っていた。読者はわからないことがあっても読書を楽しめるのだ、と。作者と登場人物の戦いのみが土星戦争ではない。読者と小説の戦いも、この小説の土星戦争の一部なのだ。

ところで、土星の恋人の名がカメルーン。彼女の愛称がカミ。これが「紙」や「神」と同音異義語になるのは日本語だけだろうか? 翻訳もまた土星との戦いに挑んでいるのだった。土星の名はサルバドール。愛称、サル。土星とは猿の惑星だった……? 

2011年8月5日金曜日

ジャンクを見直す

カップヌードルごはんは本当にカップヌードルみたいな味がした。カップヌードル味と謳っているのだから当然か。

で、2日連続でジュノ・ディアスの話を聴きに行った。昨日のことだ。昨日はシンポジウム「オタク・災害・クレオール」と題されているし、前日のふたりに加えて小野正嗣が加わっているし、何しろ前日にカリブは他のラテンアメリカの国々と違うという明言を引き出したこともあるので、クレオールの話を展開してくれることを期待したのだが、残念ながら時間切れでその話はできなかった。

オタク……というか日本文化受容の話から始まり、日本のアニメなどが黙示録的ヴィジョンを湛えているという観測をディアスが語ったので、そこから「災害」のテーマとの関係に話が移るのかと思いきや、ここで小野正嗣が、いかにもフランス的知性の発揮とばかりに高度産業資本社会の特性たる均質性のことなどを持ち出し、ディアスはそんな小難しい話などしてなるものかとかわしつつ、過去20年間にアメリカ合衆国の初等教育では日本化が進んでいること、そこに日本文化受け入れの素地があることなどを話した。加えてジャンク・カルチャーが語る真実のことなどを話すものだから、直前にジャンク・フードを食べてきたぼくとしては、そうそう、クズの中に真実があるのだよ、と共感。

ディアスの意識には「オタク」と「災害」を結びつけなければという意識があるのだろう。日本とUSAの類似点として原爆について語りたがらないというメンタリティを指摘、その理由となるオブセッションを語るのがジャンク・カルチャーなのだとの見解を開示して示唆に満ちていた。

連日、TVではニューヨークの地図に黒丸が描かれ、ソ連の核攻撃を受ければこれだけの広い地域がダメージを受けると喧伝されているところに、ある日、1981年、『宇宙戦艦ヤマト』の放送が始まったのだ。そのとき子供たちが感じたリアリティというものを想像してみろ、なんて言葉などは、ディアスよりも5歳年上のぼくとしても、大いに実感できるところ。


もうひとつ重要なこと:作家になりたいが生きるためのバイトなどに挫けずにモチベーションを維持するにはどうすればいいか? の質問に対してディアスが出した答は、志を同じくする仲間と週一度は会って話をすること、というものだった。これは特に作家志望でなくとも言えることだと思う。大学院生などには、週一度はいろいろな話のできる仲間を持つことをぼくも勧めたいな。

2011年8月4日木曜日

ごはん!

カップヌードルごはん カップヌードル味

女優の伊勢佳世さんがご自身のブログに紹介していたのを見て、うむ、いつか買ってみようと思っていたアイテム。

これの何よりも衝撃的なところは、お湯で調理するのではないということ。

衝撃的でしょ? カップヌードルからお湯を抜いたら何が残るのだ? いったい何で調理すればいいというのだ? 

電子レンジです。もちろん。

味は……これから食べる。

2011年8月3日水曜日

元気な人々

で、まあ行ってきた。ジュノ・ディアスの講演会@abc本店。

開演前にトイレから出てきたら今夜の聞き手、都甲幸治さんと擦れ違った。こんにちはと言ったら、こんにちは、頑張ります! と元気な挨拶。

その都甲さんに負けず劣らず元気なジュノ・ディアス(出回っている写真よりシュッとした感じ)。ニュージャージーの現実を描きたかったんだとか、いろいろなディテールを入れようとして努力した、という話を楽しそうにしていた。柳下毅一郎さんや豊崎由美さんが来ていた。豊崎さんは質問したし、柳下さんはご自分のツイッター(http://twitter.com/#!/kiichiro)でいろいろと実況しておられる。それと重複しない範囲でぼくの印象に残ったのは、

『オスカー・ワオ』までの11年間、ディアスが毎日朝6時から12時まで机に座って書いていたということ。2.400ページばかりも書いたが、それが300ページに落ち着いたのだということ。既に『ハイウエイとゴミ溜め』の優れた短編集を書いた人物にして、これだけの努力があったればこそのあの小説なのだな、と感心。

また、カリブ人は他のラテンアメリカの国々の人に比して、1つの言語に対するアイデンティティはない、との明言。カリブは別ものだとこの意識が明示的に聞けたことは収穫。小野正嗣を迎えての明日のセッションが楽しみだ。

2011年8月2日火曜日

泣きたくなる午後

まあぼくはゴダールやトリュフォー、ロメール、シャブロルらの映画など半分も観ているかもあやしい、中途半端なシネフィルではあるけれども、なんといってもジャン=ポール・ベルモンドになりたいというのがぼくが自覚した最初の映画的自意識であったし、『突然炎のごとく』のジュールとジムみたいに男二人女ひとりのトリオでよく行動した日々もあったことだし、ついつい、こういう映画は観てしまうんだよな。

エマニュエル・ローラン『ふたりのヌーヴェルヴァーグ:ゴダールとトリュフォー』(フランス、2010)。

脚本をトリュフォーやゴダールの評伝を書いた批評家アントワーヌ・ド・ベックがつとめ(日本語字幕監修にはトリュフォー論の第一人者山田宏一が当たっている)、女優イジルド・ル・ベスコが資料をめくりながら二人のヌーヴェルヴァーグのシネアストの足跡を辿るという形式で、実際のフィルムや記録映像の断片をふんだんに挟んで作った映画だ。

映画の極めてはっきりした主張は以下のとおり。1)ヌーヴェルヴァーグとは『カイエ・デュ・シネマ』の急進派批評家たちが実作に乗り出して作ったブームであること。2)その中心はとりもなおさずトリュフォーとゴダールであること。3)その意味でヌーヴェルヴァーグの出発点は『大人はわかってくれない』がカンヌで上映され、『勝手にしやがれ』が撮影された1959年であること。4)トリュフォーとゴダールは対照的ではあるがとても仲がよかったこと。5)1968年のシネマテーク館長ラングロワ解雇問題こそがパリ5月革命への流れを作ったこと。6)その流れの中でトリュフォーとゴダールの方向性の違いが顕在化し、二人は仲違いするにいたること。6)『大人はわかってくれない』の主役ジャン=ピエール・レオーを取り合うふたりの父親としてトリュフォーとゴダールがいたこと。

最後の6)の要素が入ることによって(事実は確かにそのとおりなのだろうが)、映画の描くストーリーが一気にホモソーシャルな青春映画の様相を呈してくる。こんなストーリーだから、ぼくはそれに反発を覚えつつも泣きたくなってくる。エンドクレジットで山田宏一が喜んだレオーのオーディション映像が流れたことによって、かろうじて救われた。高校時代の両巨匠が偶然映った写真をかざし、これこそ映画の始まりにぴったりだとして始まるこの始まり方(といってもそれは開始後10分くらいのころのカットだが)からして、この映画はある種のストーリーを狙ったドキュメンタリーなのだ。

ベルイマンの『不良少女モニカ』に女優の官能性の表現方法を学んだとしてその映画のシーンを2つほど紹介し、レオーやジーン・セバーグがカメラを見つめて終わるふたりの作品を後に並べて見せるなどしてヌーヴェルヴァーグの成立についての解説に説得力を与えるその展開は、ぼくのような人間にとってはいくつかとても示唆的に感じられた。

そうそう。そういえばパリのシネマテーク。ベルトルッチの『ドリーマーズ』(もしくその原作のギルバート・アデア『聖なる子供たち』および、映画と同時に書き直された『ドリーマーズ』(池田栄一訳、白水社))はまさにここから始まり、5月革命へといたる時代をトリュフォーへのオマージュのような配置で作っていたのだよな、と思い出していた。思い出していておどろいた。そういえば『ドリーマーズ』にはそもそもレオーが出演しているのだった。

雨が降りそうな曇り空だった。

いつの間に?

昨日、ぼくの財布から出てきた2枚の異なる千円札。上が夏目漱石。下が野口英世。

ところで、このデザイン変更があったのはいつのことだ? ぼくはすっかり忘れている。漱石の千円札を見せられても、最初、何のことだかわからなかった。違和感を覚えなかった。

うーむ……