2024年8月13日火曜日

後から来る者たちへの配慮(?)

ガブリエル・ガルシア=マルケス『出会いはいつも八月』旦敬介訳(新潮社、2024にはクリストーバル・ペーラによる「編者付記」と数枚の草稿写真が掲載されている。


草稿と言っても、周知のごとくマッキントッシュのデスクトップコンピュータで書いていたガボに手書きの原稿があるわけではない。書いた原稿をプリントアウトし、それに手書きで推敲の赤を入れたものが物理的に残っているらしく、それの第5バージョンの数ページの写真が掲載されているのだ。


僕の勤務する東京大学文学部には大江文庫というのがあって、こちらは手で書いていた大江の手書き原稿や校正したゲラ刷りが収蔵されている。コンピュータ(ワープロソフト)で書く人が大半になってしまった現在では作家の草稿研究などというのはもう成り立たないだろう。大江が最後くらいの世代なのだろう……そう思っていたのだ。


そこへ、今回のガボの「草稿」写真だ。なるほど、その手があったか!


僕は手書きのノートを多用してはいるものの、卒業論文の時点からワープロで書いてきた人間だ。手書きの原稿は存在しない。それで、そのワープロ版もそのソフトの中だけで推敲して、書き換えの過程を残さずにきた。


が、そんなわけで、ガボの事例を知ったときに悔い改めた。書き換えの過程を残しておかなければと思うようになった。一回一回プリントアウトして紙の上で推敲するのはしやすいにはしやすいのだが、何度も何度もそれをやっていると紙を大量に使うことになる。それで、折衷案として、完成稿にいたるまでのバージョンをPDFにしておこうと思い至ったのだ。今では短いゲラなどはPDFで受け取り、iPadでそれを校正するという段取りをとっている。同様に原稿でも第1稿ができたらPDF化して推敲、ワープロソフトで書き直し、第2稿を作る、というようにして完成稿まで仕上げていこう。


という過程を今年からたどることにしている。こんな具合だ。



これはある翻訳の第3章の第1稿を推敲したもの(iPad内)を見ながら、第2稿を作っているところ。


ガボなら後世の研究者たちがこの推敲の過程を調べてくれることもあるだろう。が、果たして僕の原稿や訳稿を研究する後世の人々というのはいるのだろうか? いるといいな。