2009年11月18日水曜日

風に舞うテント


会議のために大学に行ったら、外語祭の準備をしていた。ちょっと心配になるくらいゆったりと準備していた。そしてこれは設営途中で強風に吹き飛ばされるテント。シャッターチャンスを逃した。飛ばされる瞬間を写したかったところ。

今年から大学には朝鮮舞踊同好会というのができた。実はぼく、競技ダンス部と並んでこの同好会の顧問でもある。スペイン語の学生で子供のころから朝鮮舞踊を習っていた学生が、周囲に呼びかけて作ったもので、その学生が最初に相談した相手がぼくだったので、行きがかり上、顧問になった。まだ5人くらい、しかもいずれもスペイン語専攻1年生ばかりの小所帯。日に2度ばかりしか演舞できないそうだが、是非、……なかなか激しいらしい。太鼓の音が小気味よかった。

ちなみに、スペイン語専攻の語劇は金曜日最終回。18:20くらいから。

さ、この連休にどれだけ残った仕事を終えることができるか、それが勝負。

2009年11月17日火曜日

面接

法政で代講しているゼミは、今日が選考日。希望票を出したのに面接会場に現れない人物が何人かいた。ぼくが法政に勤めていたころには、そんな経験、記憶がない。

夜、ぼくの勤める大学の学長が、ぼくも行ったことのある新宿のロシア料理のレストランで、爆笑問題のふたりからインタビューを受ける(他の客も見覚えあるひとびとだったぞ?)という30分ばかりのTV番組を暇に飽かして見た。

本当は暇なんかないのだけど、TV番組を見たと書こうとすると、「暇に飽かして」と書かずにはいられないのはどうしたわけだ? これもひとつの紋切り型なのか?

あと2年、4章、60ページ。

2009年11月16日月曜日

事後報告

14日(土)は学部編入試験の監督。明らかにぼくより年上とわかる受験生も少なからずいた。そのうちの何人が合格するかは知らないが、こうした光景を見ていると、ある確証を得られる気がする。大学は18歳から22歳までの若い連中のためだけの特権的な場ではないということ。

それから、その日のうちに懐かしい人に会ったりしたが、仕事を辞めて留学していたなどと言っていて、やはり、大学とは多様な年代の人のための場であるのだと確認。

ま、自分より年上の学生がいると、ぼくのように学生相手にぞんざいな態度を取っている人間は戸惑うのだが。

本務校は水曜日から学祭の準備に入る。

2009年11月13日金曜日

2009年が終わった……?

今日届いた。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年12月号。つまり、「愉悦の小説案内9」。2009年分の最後。残りは3回だが、そのうち2回まではもう原稿は出してある。穴を開けることなく連載を終えることができそうだ。

今回はマリオ・バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』のご紹介。「自伝と小説の違いを味わう」。

昨日、12日(木)は、新しく作る大学広報誌 GLOBE Voice の「研究者紹介」のページに取り上げられるというので、その取材を受けた。疲れた。ぼくはこの広報誌の委員で、出ろと言われて断ることはできずに昨日に至ったという次第。どうも自分のやっていることを語るのは苦手だな。やっていることの成果を見てくれ、以上、と言いたくなる。

その後、スペインの協定校からの交換留学生らの歓迎会。

やれやれ。明日は朝から編入学試験の監督だ。週末、自由にならない週が続く。

2009年11月11日水曜日

雨だ。本格的な雨だ。そのせいか2時限の出席者は少なかった。雨が降ったら自主休講か? かつてのぼくのようじゃないか。


明日、大学広報誌の取材を受けるために古い写真を見ていたら、こんなのが出てきた。BELLA EPOCA映画館。

かつて、3月に書いた。この建物はそのままにFCE直営書店に変わっていたという話。こうしてみれば建物が同じであることがわかるはず。

さて、では明日の朝5時台に録画セットして、今日はもう寝よう。

2009年11月8日日曜日

ブチッというよりビシッ!

大学院の2次面接。5件。

最後はフランス語の文学文化学コース志望の学生の面接。終わってフランス語の先生たちに色々と彼らの入試問題などのお話を伺う。うーん、難しすぎるから敬遠されるのかなあ、などと。ふむふむ。難しさではスペイン語も遅れを取りません。こちらも敬遠されているのかもね。

フランス語の場合、作文の問題が自由論題(たとえば「文学におけるエクリチュールの役割を論ぜよ」)で最低でもB4の解答用紙1枚を使用するというもの。

かっこいい! 

と思わず唸ってしまった。さすがは哲学を必修として思考力を問う、名だたるバカロレアの国の言語を専攻しようとする場だけはある。バカロレアもともかく、さらに上に行くとますます難しくなるもので、サルトルがまいにち何ページも書く習慣をつけたのは、厳しいアグレガシオン(教授資格試験)の論述試験に備えてのことだといっていたものな。"Nulla dies sine linea"(1行たりとて書かざりし日なし)というプリニウスのアレだな。

ぼくもいつかこんなかっこいい問題を作りたいものだ。どこかに書いただろうか? ぼくの学生時代、「スペイン語学概論」という授業の学年末試験は、決まって試験最終日、9時から5時までの時間が割り当てられ、その間、何をしてもいいからたったひとつの論述問題に答えるというものであった。この先生に対しては色々と言いたいことがあるし、その授業に熱心に通ったわけではないが、それでもこうした試験は好きだったな。何というか、ぼくの知的体力が試されているような気がして、嬉しくなった。わくわくした。試験が祝祭であることの証左だと思った。

ま、受験する方としてはきつくもあるけどね。でも、なあに、それくらいものともしない気概がなければ大学院では生き残って行けない。君たち! 東京外国語大学大学院 言語文化専攻 フランス語を目指せ! 気概を示すのだ! 

あ、もちろん、フランス語をやるなら、ということ。フランス語よりスペイン語を目指せ、というのが、ぼくの立場……とりあえず……表向きは……

2009年11月7日土曜日

ベーンとダーンとブチッ……

大萩康司ギター・リサイタル。東京文化会館小ホール。N先生やらKさんやらYさんやらNさんやらに囲まれて。

ブローウェルの寵愛を一身に集める大萩が、これから違う方面にも飛び立ちたいのだけど、と語りながらも、その締め(?)に、ブローウェルずくしを。目玉は、というか、少なくともぼくをここまで運んできたのは、「円柱の都市」。いわずとしれたカルペンティエールのハバナを巡るエッセイ。これに想を得た変奏曲集。2004年のこの作品の、ほぼ初演。ブローウェルのカルペンティエール・シリーズの中でも一番の作品だ。

前半はブローウェル編曲になるサウメル、スカルラッティ、ル・コックの数々。古い曲ということで、19世紀のルネ=フランソワ・ラコートを使用。この楽器、ぼくははじめて聴くのだが、いい。

帰りの電車の中で、ある原稿の下書きを作るも、字が汚くて、果たして何を書いたのだったか……そして、あと1時間ばかりで翻訳の1つの章が終わるはず。それまで踏ん張るつもり。

明日は大学院の2次試験。面接。5件ほど抱えている。

2009年11月5日木曜日

ぼろぼろ

2時限「アメリカ文化論II」の授業、今日はぼろぼろだった。用意した教材はうまく提示できない、用意していたはずの教材を忘れてしまっていることに気づいて立ち往生するし、おかげで話がまとまらなくなるし……泣きたくなったな。

5時限「表象文化とグローバリゼーション」は担当の先生が出張のため、彼女の話を補足するための映像を流した。そのためにちょっと説明と、授業の計画変更の説明。

あいまにいろいろな打ち合わせや問い合わせや。

クロード・レヴィ=ストロースの死を悼んでいる暇もない。もうすぐ101歳になろうとするところで死んだ人の死を悼むべきかどうかもわからない。言祝ぐべきかもしれない。松井秀喜のワールドシリーズMVPを言祝ぐべきかもわからない。ヤンキーズもジャイアンツも星陵高校もさして興味のない身としては。

2009年11月3日火曜日

勘違いなのか?

昨日の話。昨日は日曜日と休日の間の月曜日。そういう日は休みになるものだとばかり思っていた。数日前から念のためにカレンダーを確かめたら、どのカレンダーにも2日が休みだとは書いていない!

おかしいなあ、と思いながら授業をするが(月曜日は大学院の授業だけだ)、誰に訊いてもそんな制度があったためしがないと答える。

おかしいなあ。

夢を見ていたのかな? 

何かと勘違いしているのか? 

まあいい。でも今日は本当のお休み。文化の日。起きてからぶっ続けで翻訳作業。一息ついて散歩に出ようとした時には、もう暗かった。

……やれやれ。でもおかげで、だいぶ進んだ。

でもまだ終わらない。この小説、もう薄めのものならだいぶ前に終わってるくらいの分量なのだけれどもな。でもこのペースなら、これから先の授業をすべて休講にすれば、あと一週間で終わりそうだ。そんな剛胆なこと、ぼくにはできないけれども。

2009年11月1日日曜日

肖像を正三だと思ってた。

呂律が回らなかったことが気になったか、早すぎる晩年を思い、

ルキーノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』(イタリア、フランス、1974)を。

本当は晩年を思ったわけではない。授業に備えての話。

ぼくたちにとって『家族の肖像』というと、中島みゆきが「オールナイトニッポン」か何か、ともかくラジオの深夜番組で、「か~ぞくのしょーぞー!」と声張り上げて始めていた聴取者からのはがきのコーナーの名として認識された。その後、それがそのちょっと前に撮られたヴィスコンティの映画だと知ることになり、その映画を実際に見ることになるのだが、うーむ、……とうなったのはぼくばかりではないはずだ。とても惹きつけられる。だがいったい何に惹きつけられているのか自分でもわからない、そんな感じ。16、7のころの話だ。

ヘルムート・バーガー演じるコンラッドが、実は68年のごたごたに紛れて大学での美術史の勉強を断念したなんて細部は、実はまってく覚えていなかった。彼が爆弾でやられるその論理すらも、すっかり忘れていたということだ。

そして、ついに出来:

ガブリエル・ガルシア=マルケス『生きて、語り伝える』旦敬介訳(新潮社、2009)

新潮社のこのシリーズは巻末解説に訳者とは別の人を充てるというのがしきたりになっているのか? 旦さんではなく久野量一による解説がついている。

 母は私に、家を売りにいくので一緒に来てくれ、と頼んだ。その朝、彼女は、一家が暮らしている遠くの町から遠路はるばるバランキーヤに出てきたのだが、どうすれば私が見つかるのか、まったく目星もついていなかった。あちらこちらで知り合いに尋ねてまわると、私のことはムンド書店か、その近所のカフェで捜すといい、と指示された。私が日に二回は、知り合いの物書きたちとおしゃべりするために立ち寄るところだった。母にそう教えた知りあいは、こう忠告した――「気をつけてお行きなさいよ、頭のおかしい連中ばかりだから」。(12ページ)


ほら、読みたくなるでしょう?