2010年11月30日火曜日

綺麗は汚い、便利は不便

MSVファイルなるものが送られて来た。送られて来てから開けるまでに2日かかった。やれやれ。

MSVファイルというのはソニーのICレコーダーの音声ファイルの形式。これはソニーのプレーヤーでないと再生できない。そのことに気づくのに1日、そしてソニーでこのファイルをウィンドウズ・メディアプレーヤーのファイル形式にコンバートするソフトを無料でダウンロードできるということを知るまでに1日。その間にいくつかのフリーソフトなどをダウンロードしたり廃棄したり……。

やれやれ。

で、どうにかファイルを開くことができたのが、深夜。

やれやれ。

入っていたのは、ぼく自身がある場所で話した話の内容。自分の話し方の稚拙さと声の悪さにうんざり。

やれやれ。

「やべぇ、ちょー楽しい」なんて話し方にうんざりしている場合ではないな。ぼくもいい加減、新しい表現の方法を見出さなければな。

仕事が増えた。やれやれ。

2010年11月29日月曜日

疲弊

昨日、ちょっとTVをつけた。どこかの民放局で自局の番組の宣伝を流していた。木村拓哉がいた。木村拓哉は言った。「やべぇ、ホームセンター、ちょー楽しい」

何かが切れた。

ぼくは特に木村拓哉に含むところはない。好きではないが嫌いでもない。どうでもいい。ぼくたちの世代の女性には彼のファンが多く、いろいろ聞かされていて、そんなファンからの話を聞く限り、なるほど、尊敬に値する人物だろうとは思う。かっこいいとも思う。でもぼくにはまったく無縁の人だから、まあ、どうでもいい人物なのだ。彼が主演する『ヤマト』も、とりあえず、どうでもいい。空気のようなものだ。どうでもいい人物に対しては、恨みも抱きようがない。やっかみすら感じない。だから木村拓哉に切れたのではない。でも、確かに、何かが切れたのだ。

もういい加減にしないか? その木村拓哉みたいな発話。「ちょー」とか「まじ」とか「がち」(「がち」は木村拓哉的ではないが)とか「やべぇ」とか、どちらかというと北関東的な、似非北関東的な平坦イントネーションとか。その種の語り口に、もういい加減、彼らより下の世代は軽蔑の眼差しを向け始めてはいないのか? いないのなら、そろそろ向け始めないか? 

木村拓哉ももう30代半ばだ。たぶん。30代半ばで「やべぇ、ちょー楽しい」でいいのか? と思うのだ。18歳ならまだそれも許されただろう。あまりいい気もしないが、まあ若い連中というのはそうしたものだ。それが20年近く経ってもまだ同じ口調でいるのなら、それではいくら何でも社会性に欠けるだろうと思うのだ。「やべぇ」と思うのだ。語の正当な意味(元来俗語である「やばい」に「正当」な意味があるとすればの話だ)において。

「おやまあ、なんということでしょう、ホームセンターというのはずいぶんと楽しゅうございますね」

とそこまで言うのも、今となっては冗談みたいだが。でもともかく、いい大人が「やべっ」なんて言うのを聞くのは、ぼくはもう疲れたな。

2010年11月28日日曜日

告知、まとめて

すごく赤い。

このところ、長めの記事を連投したので、今日はぼくの関わるイベントをまとめて告知。

1)図書館主催の講演会。アーサー・ビナードさん「もしも文字がなかったら」

2)総合文化研究所主催シンポジウム。「世界文学としての村上春樹」
奇しくも、『ノルウェイの森』映画公開の日です。

リンクをクリックすれば告知のページに飛びます。

2010年11月27日土曜日

読んでも言えない本がある

読んでなくてもコメントしなければならない本もあるかもしれないが、読んでいてもそのことを隠さなければならない本もある。ただし、この場合の本というのは雑誌論文(あるいは雑誌以前の論文。論文原稿)も含むけれども。

読んだことを隠さなければならない本や論文がある。秘密の仕事にかかわるものだ。大学の教員がかかわる主な秘密の仕事は2つ。入試と人事。

人事の場合、○○の分野の研究者で▽▽が教えられる人、という要件が決定され、公募が始まると、数人からなる人事委員会が形成される。5人とか7人とか、そのくらいの人数だ。この委員会のメンバーで、応募してきた候補者の主要業績(とは論文や著書のこと)を読み、候補者を決める。最近では最終候補者の面接を行ったりすることも多い。こうして決定された候補者を教授会の審議にかけ、決定する。理事会の強い私立大学などだったら、さらに理事会の決定も重要なイベントになるかもしれない。単にシャンシャンと手打ちで終わりかもしれない。ともかく、だいたいにおいて、こんな手順で決定される。

つまり、人事委員になると、候補者の論文や著書を読むことになる。何しろ人事だ。何人、何十人(場合によっては何百人のときも)の応募者の中からひとりを選ぶ。つまり、残りの何十人もの就職の機会を奪うために、その人の書いたものを読む。いきおい、迂闊なことは口にできない。ぼくもこれまで、何度か人事にたずさわったことはある。法政時代には委員長を務めたこともある。1つのポストに何十人もの人々から,ひとりにつき3点くらいの業績が送られてくる。数十ページの論文もあれば数百ページの著書もある。分厚い博士論文もある。ひとりひとりの貴重な研究活動と夢が詰まったページだ。選考の結果選ばれたひとりならばいいけれども、選ばれなかった数十人のものを読みました、などと言ったら、そしてあろうことか、それを批判などした日には、まるでそれがその人が職に就けなかった理由であるかのように取られかねないじゃないか。とてもそれを読みましたなどとは言えない。

さて、必ずしも大学の教員でなくてもいいが、学会誌の査読などという仕事もある。これは秘密というか、匿名性が要求されるので、やはりなかなか口に出せない仕事。

どの学会もその会員が書いた論文を掲載する雑誌を持っている。雑誌に論文を掲載するには査読を受け、掲載可の許可をもらわなければならない。その査読をするのは同じ学会の会員だ。雑誌の編集委員や、その委員から委託を受けた人々だ。1つの論文につき2人とか3人の査読者で審査する。論文のできが良ければ問題ないが、できが悪ければ大幅に書き直しを迫ったり掲載不可と断じて載せなかったりする。何しろ人ひとりの研究活動の評価にかかわる問題だ。誰が査読したのかは秘密にされる。査読者は匿名の評価者となる。匿名だから、査読する側はその論文を読んだなどとは言えない。掲載されることになった論文なら、掲載後に読んだと言えばいい。でも掲載不可になった論文を読んだなどと言ったら、査読したことがばれてしまう。

何しろ、掲載されればその論文はその筆者の業績になるのだ。ぼくたちはそういった業績を積み重ねて、たとえば教員の職に応募したり、あるいは昇進のさいの審査にかけてもらったりする。ひとつひとつの論文が、つまり、その人の人生を左右しかねない。であれば、その論文が掲載されるかされないかは死活問題だ。掲載されないなら、それだけのものしか書けなかった、つまり業績として評価されるほどのものにならなかった、と割り切れる投稿者はいいのだが、人はなかなか自分に対してそんなに客観的にはなれない。ましてや人文科学だと、判断基準は曖昧だ(と思われがちだ。本当はそうでもないのだけど)。掲載不可にされたら、投稿者の側には遺恨が残る。学会誌の編集委員長のところには、ときに、脅迫めいた手紙や電話が来ることもある。あくまでも、たまにそういう話を聞く、ということ。都市伝説かもしれない。怖い話だ。

ぼくたちに読んでもそのことについて語れない本(や論文)がある。日本のどこかで、世界のどこかで、今ごろ、読んでも口に出せない本を読まねばならず、そのために読んでそのことを口に出さねばならない本を読めずにいる人がいる。必ず。だから彼・彼女らは、その本を読まずしてそれについて語る……というわけではないか?

2010年11月26日金曜日

そもそも本を読まない話

辞書は本当は読むときでなく書くときに使うという事実も重要だが、どうしても辞書を使う/使わない話だと本を読む話になってしまう。

でも本当の本当は本を読むという行為そのものが書くときに行われるものでもある。数多ある読書の指南書などを読んでいるとそうなのだと確信される。本を読む話だけでは一冊の本が成り立たないということなのか、たいていのものがインプットと同時にアウトプットを勧めるものだから。そんなものを書く人は、たいていはまあ売れっ子の作家なわけで、彼らのようにアウトプットする必要のある人がどれだけいるのかと考えると、いったい彼らのそうしたマニュアルは誰のために書かれているんだろうと疑問に思ってしまう。『15分あれば喫茶店に入りなさい』(斎藤孝の本のタイトルだ。ぼくは立ち読みだけした)、そしてそこで勉強とアウトプットにいそしみなさい、と言われても、ぼくらはそこまで忙しいのか?

さて、ともかく、本は書くときに読むものである。まず目次を確認しろ、どこに何が書いてあるかあたりをつけてから読め、などというインストラクションはそのことを勧めている。そしてこんなインストラクションをしない読書指南書は珍しい。つまり、本というのは一部だけ読めばいいということだ。逆にいうと、本は全部読まなくても読んだことになる。これは実にぼくたちの心を安らがせる命題だ。

本は全部読まなくてもいい。そりゃそうだ。たとえばスペイン史の専門家が新しく出た『スペイン史概説』なんて本を一字一句読んでいたら、無駄だ。新機軸だとか新事実だとかを確認すればいい。(少なくとも一部のひとにとって)全部読まなくてもいい本というのが、かくして、確かに存在する。たとえば月に百冊読んでますよと豪語する人は、どうやら、90冊くらい(という数字に根拠はないが)はそんなものを読んでいるらしいのだな。本を元手にアウトプットしなければならない人は多かれ少なかれ、そういう、全部読まなくてもいい本をたくさん読んでいるはずだ。

これを敷衍すると、一部どころかまったく読んでいなくてもいい本があるということになる……のか? 少なくとも、読んでいない本について語ることの効用を説く人もいる。加藤周一などもその『読書論』でそんなことを書いていた。そしてまったく読んだことのない架空の本の話で盛り上がるインテリのパーティー参加者の話などを書いてた。もちろん、そんな書物談義の最たるものはボルヘスの「トゥレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」なわけだが。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳(筑摩書房、2008)なんていう本があって、ここでバイヤールはかくして、ななめ読みする本、内容を知っている本、等々に分類して見せて、読んでいない本について話すことを指南する構えを見せるふりをして、実は読んでいない本について語る人の話を扱った小説やら映画のシーン、その他の本の一部などを分析し、ほらね、本なんて読んでいなくても本質的なことが語れるでしょう、と目配せする。なんだか小憎らしい本だ。

ぼくらは読んでいなくてもある本について本質的な疑義を突きつけ、実り多い議論を誘発することができる(こともある)。一方で、読んでいない本について言及して、とんでもない事実誤認を犯してしまうことがある。「『ポールとヴィルジニー』も結局は『大いなる野蛮人』を扱ったさくひんだ」とかだ。これをしてこの発話の人物を愚か者と断じるのは少しばかり厳しすぎるか? でもセンスはないと思ってしまう。そして、隅々まで読んだ本に関して、とんでもない誤認を犯し、的外れなコメントをしてしまう者もいる。これはまあ愚か者と断じてもいいか? ……うーん、でもな、ぼくらは目の前に展開されているものが何なのか本当には理解できな存在でもあるものな……

2010年11月24日水曜日

辞書を引かない話

ところで、昨日書いた『文学テクストにいかにコメントするか』のような本が日本語でもあればいいなと思ったのであった。

河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第3版』(慶應義塾大学出版会、2002)第2章は「テキスト批評という練習法」というもので、この「批評」が「コメンタリー」のことであって、文学の授業などから敷衍されるようになった方法であることが明記されてはいるが、いかんせん、コメンタリーは主題の提示に始まって云々、とコメントを書く際の構成の話に重点が行き、面白くない。辞書を座右に置く、なんてインストラクションから始まるコメンタリーのしかたの本。それが欲しいとぼくは言っているのだ。

であれば「辞書を座右に置く」ことの指示は、日本には多くあふれる読書論、読書のしかたマニュアルのようなものに求められるべきなのだろうか? でも辞書を引くことを説いた読書マニュアルはそう多くはないように思う。平野啓一郎『本の読み方——スロー・リーディングの実践』(PHP新書、2006)は「『辞書癖』をつける」という項(62-65)を立ててはいるし、そもそも「スロー・リーディング」を勧めているのだから、「ゆっくり読まなければならない」と書いたラサロ=カレテールとコレア=カルデロンに近いかもしれない。しかしこれはインストラクションと実践例がそれぞれ離れた場所に書いてあって、どうにも歯がゆい。「辞書癖」云々にしても余計な個人的例が書いてあって脱力する。

こうした読書論の多くは自己啓発本のようなもので(と平野自身も書いている)、実際に本を読んだりそれについて書いたりする人のためのマニュアルではないので、個人の実践のしかたなどでページが水増しされるのはしかたのないことかもしれない。そして同じく平野が書いているように、その種の読書論の多くは、速く読むことを勧めている。いわゆる「速読術」とは違うものであったとしても、速く読めと勧めている。これでは辞書を引くことなど勧めようがない。

矛盾するように響くかもしれないが、前にも書いたように、ぼくだってふだんはあまり辞書を引かないし、「速読術」というようなものは身につけていないが、それでもだいぶ速く本は読む方だと思う。寝室専用とか、電車内専用とか、いくつかの読み方をするので一概には言えないが、ともかく、速く読む。一度目の読みだからだ。いずれゆっくり読み、翻訳し、論文に書かなければならないとしても、とりあえずはひととおり目を通して、おおざっぱに内容を把握する。内容を把握していなければ、ただゆっくり読むと、想像が暴走しかねないからだ。想像の暴走。すてきなことだが、まあ徒労のときも多い。

思うに、対象が外国語だと、この「速く読む」ことと「ゆっくり読む」ことのメリハリがついてわかりやすいのではないだろうか。なまじ母語だと速く読んでもゆっくり読んだ気になって始末が悪い。「始末が悪い」は言い過ぎだろうが、少なくとも、速く読んでも、その次にゆっくり読むことを忘れがちだ。まあ「ゆっくり読む」ということは二度目の読みをするということだから、二度目に読めばいいのだが、それを忘れてしまいがちだ。外国語だとわかりやすい。「速く読む」とは辞書を引かずに読むということであり、「ゆっくり読む」とは一字一句辞書を引きながら読むということだ。

さて、こうして2つの矛盾する当為の命題が現れる。「速く読め」と「ゆっくり読め」。しかしこれらは特に矛盾するものではない。「まず速く読め、そしてゆっくり読め(読み返せ)」と併存するものであったり、「二次資料は速く読め、しかし批評の対象はゆっくり読め」と棲み分けるものであったりするからだ。このように使い分けながら本は速く読んだりゆっくり読んだりしている。辞書を引かなかったりうんざりするほど何度も引いたりする。

ところで、以前、ある大学院生に「一字一句辞書を引け」と言ったら「そんな暇はない」と笑われた。その同じ学生に「二次資料は速く読め、1日以上かけるな」と言ったら「そんなんじゃ研究なんかできません」と言われた……うむ。一見矛盾するような当為命題を掲げると、向こうも矛盾するような反論をしてくるものだ。でもなあ、これ、かなり本気で言ったんだけどな。

2010年11月23日火曜日

辞書を引く話

翻訳が大詰めである。辞書を引いてばかりである。

我々、外国語学習者には奇妙な意地のようなものがあるのではないかと邪推する。語彙を増やすオブセッション、単語を覚えなければという強迫観念、そういったものから来る意地。知っている単語は辞書でなど引いてたまるものかという、辞書に対する対抗意識のようなもの。「我々」と書いたけれども、少なくとも20代のころのぼくにはそんなものがあった。妙に負けず嫌いな性格だし、当時は記憶力に関しては絶大な自信があったから。

そんなぼくのこと、意地を張って辞書を引かずにいて意味を取り違えたことも多かったのだろう。大学院時代、恩師からは、お前のような者は一字一句辞書を引かなければならないのだ、と諭されることになる。そして現在、結果として師の教えで一番残っているのはこれだろうと思う。

一方、ぼくが辞書を引くことはこうした子供じみた意地とは無縁で、必要なことなのだと悟ったのは、恩師の教えばかりによるのではない。他の授業の参考資料として読んだ一冊の本も、ぼくの翻意におおいに与っているだろうと思う。

Fernando Lázaro Carreter, Evaristo Correa Calderón, Cómo se comenta un texto literario (Madrid, Cátedra, 1974) 

ラサロ=カレテール、コレア=カルデロン、いずれ劣らぬ文献学の大家が、おそらくは大学学部生向けに書いた指導書『文学テクストにいかにコメントするか』。「文学史を学んだだけでは文学を学んだことにはなりません」というテーゼに始まり、個々のテクストにコメントする訓練を一から手ほどきした入門書だ。これのごく最初の方、テクストへのコメントの大前提たる「注意深い読み」の章で、次のように述べられているのだ。

 あるテクストにコメントするためにそれを研究する際に、まずやらなければならないこと、それは当然のことですが、そのテクストを注意深く読んで、それを知りつくすことです
 そのためには、テクストはゆっくりと読まなければなりません。そしてそこにあるすべての言葉を理解することです
 ということはつまり、テクストを説明する準備をするときには、絶対に、手もとにスペイン語辞典を置いておかなければならないということです。そして、意味がわからない単語があったり、中途半端にしか知らない単語があったら、それらのすべて、ひとつひとつを調べなければなりません。(26ページ。下線は原文のイタリック)

そしてロベ・デ・ベガのテクストを引き、このテクストで言えばわからない単語とは、たとえば、manso(おとなしい)、mayoral(現場監督)、decoro(慎み)、prenda(服、アイテム)、等々かもしれない、と例(今こうしてぼくも、辞書など引かずとも意味を添えることのできる単語の数々)を挙げる。

これはあくまでも外国人向けでなく、スペイン人に向けてスペイン語で、スペイン文献学の大家(書かれた時点ではまだそうではなかったかもしれないが)が書いた文章だ。ラサロ=カレテールらはこうして、辞書を引くことを諭しているのだ。

これを読んだときぼくは、一方で、ヨーロッパの大学も、こうしたことを教えなければならない程度に(アメリカ合衆国の大学などと大差なく)レベルが低いのだなと思った(だからといって日本の大学がレベルが高いと思っていたわけではない)けれども、他方では、奇妙な感動を覚えたものだ。そういえばスペインに留学していた友人は、つき合いのあった文献学専攻の大学院生が常に車の中にアカデミアの辞書を置き、何かあると引いていたとのエピソードを教えてくれた。辞書は知らない単語をぼくたち初学者に教えてくれるものではなく、ある程度知っている者たちでも常に利用することが望ましいツールなのだと悟ったのだ。そしてぼくたちは人間である限り、「ある程度知っている者」の範疇を超えることはできない。

辞書を引かなければ、たとえば上のprendaは、実はロペの時代には「担保」であり「最愛の人や物、たとえば息子」であったことなど知らないまま意味を取り違えてしまう。意味を取り違えた上でなされたテクストへのコメントは、それはそれで面白いものであり得るかもしれないが、とんでもなく的外れなことにもなりかねない。はたして我々はある個別の事象やら個別の単語のことを本当に知っているのか、と不安にさせる(異化する)のが文学テクストであるなら、ますますもって辞書を引かなければ不安だ。かくしてぼくは、たかだか1ページの文章を訳すのに、1日2日とかけてしまう。1日あれば読み終えるはずの本を訳すのに半年も1年もかけてしまう。

……と書いたら、仕事が遅いことの言い訳に響くか?

2010年11月22日月曜日

辞書の話

翻訳が大詰めである。ぼくは翻訳する際にはともかく辞書を引いてばかりいる。

ふだん本を読むときはほとんど辞書など引かない。それは最初の読みだからだ。けれども、授業で使う教材と翻訳の対象の実際に訳を作るときにはかなりの頻度で引いている。それから研究対象となるテクストもそうだ。とりわけそれについて何かを書こうと思うときは、辞書は引いてばかりだ。大げさに言えば、一字一句引いている。首っ引きになっている。意味がわかるとかわからないとかの問題ではないからだ。その語が持ちうる可能性について知らないことが多すぎるからだ。ましてや文学作品となれば、考えれば考えるほどひとつの単語が曖昧に見えてくるからだ。

辞書というのは、『現代スペイン語辞典』とか『西和中辞典』とかの話ではない。スペイン語に関して言えば、たとえば、語の最もオーソドックスな定義がなされているのは王立アカデミアの辞書だと言われている。Diccionario de la lengua española. 通称DRAE (Diccionario de Real Academia Española)。古典などを読むときに参考になるのは、このアカデミアが17-18世紀に出していた辞書の最終版のファクシミリ版 Diccionario de autoridades (『権威の辞典』! とよく驚かれるのだが、この辞書によるautoridadの第一義は、「洗練、上品、上等」)だ。セルバンテスやケベードなどからの用例にあふれ、実に嬉しい。ちなみに、オクタビオ・パスは何度かこれに依拠して語の定義などをしていた。

しかし、我々外国人にとって、そしてまたスペイン語を使いこなそうとする人にとって、なんと言っても役に立つのは María Moliner, Diccionario de uso del español. 『スペイン語語法辞典』。通称、マリア・モリネールの辞書だ。マリア・モリネールという図書館司書が、独りでこつこつと20年間かけて作った辞書。その名の通り、語法などの解説が目からウロコの連続だ。ガブリエル・ガルシア=マルケスがこれを「私のための辞書」と言ったのは有名な話。そう言った文章は以前、田澤耕が訳して岩波のPR誌か何かに掲載したはず。

初版は語源順というその単語の配列が、最初のうちは引きづらい印象をもたらしたけれども、慣れればそれもまた勉強になるし、合理的。ぼくも大学院進学を決意した瞬間に金を貯めて2巻セット3万円くらいだったそれを買い求め、驚きながら使っていたものだ。以後、座右に置き続けている。

第2版で語彙は増えたし、配列はふつうのアルファベット順になったけれども、語彙が増えた分用例が減ったように思うのは残念なことだった。これをペーパーバックにして安価にしたような Diccionario Salamanca de la lengua española が出て、それがなかなかの優れものなので、これを使う頻度の方が増えたかもしれない。

第3版の出たマリア・モリネールの辞書は、その第3版をDVDとしても発売した。実は、最近、それを使用している。上の写真は第2版第2巻とDVDの箱、そして実際のPC上の画面。

第2版はCD-ROM版があったにはあったが、システムとの折り合いがうまく行かず、ぼくは使えなかった。今回もそんなことがありはすまいかと不安だったけど、Macにも(Snow LeopardにあるRosettaというソフトをインストールした上で)インストールできた。そして実に重宝している。逆引きやら表現別の検索やらと、さすがに紙の辞書ではなかなかできない検索ができるので、ますます便利だ。

ところで、先日そんな話をしたら知らない人がいたので、念のために言っておくと、アカデミアの辞書はサイト上で無料で検索できる。ガルシア=マルケスが序文を書いて話題になった(そして、これもなかなかいい) Clave: Diccionario de uso del español actual も無料だ。

日本語で、有料サイトで重宝しているのが、ジャパンナレッジJapan Knowledge。ニッポニカの百科事典や『ランダムハウス英和辞典』、『現代用語の基礎知識』などが横断検索できる。そして何よりすばらしいのは『日本国語大辞典』も検索できるということ。これもぼくは第2版が出たときに買ったのだが、出先でもこれが引けるのは実にすばらしいこと。

2010年11月21日日曜日

逃避

翻訳が大詰めを迎えている。もう読書も勉強も授業準備も外語祭もあったものではない。

といいながら、こんな時期だからこそ、外出している。仕事をしているという意識があるから、ことさらそこからの解放を夢見る。

卒業生たちと青山のスペイン料理店プエブロで食事したり。

ちなみに、その日、着ていこうとしたジャケットを取り出し、ところでこのホームスパンってどういう意味だ? と思ってそのことをツイッターに記したりしていた。とても「大詰めを迎え」た仕事に追われているとは思えないな。ホームスパンとは、これ。

まあ、そんなに夜ごと飲み歩いてばかりいるのではない。翌日、つまり昨日はぼく自身の主催する研究会へ。スペイン神秘思想家の本の日本語訳で、今まで知られていなかったのが、ハーバード大学の図書館で発見された、そのテクストについて発見者本人のお話。貴重。すばらしい。そして大学院生の修士論文のお話。

終わって下北沢で台湾料理。

2010年11月18日木曜日

ああ勘違い

2年生の授業でAntonio Múñoz Molina, El invierno en Lisboa (Seix Barral, 1987) アントニオ・ムニョス=モリーナ『リスボンの冬』を読んでいる。ピアニストのサンティアゴ・ビラルボ(あるいはジャコモ・ドルフィン)が恋愛によるいざこざに巻き込まれる話だ。語り手「私」による旧友サンティアゴの描写から始まる小説で、音楽とその評価をめぐる文章が2年生にはさすがに難しいようだ。

で、この小説、本の宣伝文句によれば、ディジー・ガレスピーを客演に迎えて映画化されているとのこと。ガレスピーは93年に死んでいるので、だいぶ晩年の映画出演ということになる。

ぜひ観てみたいものだと思う。

しかし、ぼくはてっきりこのサンティアゴの役をガレスピーがやったのかと思い込んでいたが、先日の授業中、ふと気づいた。ガレスピーはトランペット奏者なのだから、ピアニストのビラルボをやるはずはない。

小説にはもう死んだとされる孤高のトランペット奏者ビリー・スワンというのが出てくる。ビラルボがよく一緒に組んでいたミュージシャンだ。この人のレコードに参加したりしたと。であれは、きっとガレスピーはこの人の役をやったのだろう。

映画、観てみたいな、と思ったのだった。というのも、今日のぼくの一枚目は Dizzy's Big 4 だったからだ。そして二枚目が Oscar Peterson and Dizzy Gillespie 。オスカー・ピーターソンの代わりにサンティアゴ・ビラルボことジャコモ・ドルフィンがピアノを弾いていたと考えると、楽しくなる。時間に余裕ができたら、学生にも聴いていただきたいな。ものの本によればビリー・スワンは現代最高のトランペッターのひとりとのことだったが、私が聴いたレコードの中で彼は唯一無二の存在だった、というような記述が小説にはあって、そんな箇所を実感できればと思うのだ。

ところで、ビリー・スワンというミュージシャンは実在する。でも、ジャンル違いだし、年齢が違いすぎるし、きっとムニョス=モリーナはこの人のことを知らず、偶然この名をつけただけなのだろう。

ジャズ映画といえばウディ・アレン。ウディ・アレンといえばセントラル・パーク。セントラル・パークといえば、紅葉。セントラル・パークではないが、紅葉と夕陽の公園。ぼくのウィンドウズ・マシンのデスクトップも、これではないが、紅葉の公園だ。

2010年11月14日日曜日

中世にいく前に現代世界について考える

今日の『朝日新聞』には奥泉光によるウンベルト・エーコ『バウドリーノ』堤康徳訳(岩波書店、2010)の書評が掲載されていた。

ぼくは奥泉光はわりと好きな作家なので、彼のツイッターもフォローしているのだが、そこで彼が書いていたから、この小説のパイロット版を発売前から読んで書評を書いたらしいことは知っている。でもこの小説、奥付の発行日は11月10日。同じ紙面にはこれの広告が掲載されていたが、それ自体初めてではなかったか? いずれにしろ、異例の速さだ。異例の速さを作るシステムはわかったとして、あらかじめパイロット版を読ませてまでの素早い書評掲載は、異例だ。

いや、ぼくは『朝日新聞』の書評のシステムがどうなっているかわからないので、語の正確な意味で「異例」かどうかはわからない。少なくとも、一読者として見たとき、これはいつにない反応のように思われる。『朝日』の外国文学の書評に関する不満は、20年ほど前からこの方、多くの口から聞いてきたし、ぼく自身、この大新聞の書評欄には今ではほとんど期待を抱かなくなっている。ちょっと前に池上彰がバルガス=リョサの受賞を巡る言説を批判して読ませるための努力を怠っていると「ラテンアメリカ文学者」たちに苦言を呈した記事を話題にしたが、なあに、それを掲載している新聞自体が、この人の邦訳新刊などをことごとく無視して普及に貢献しようとしなかったのだぜ、と言ってやりたい。

そんな思いがあるものだから、ともかく驚いた。で、数日前に書店に並んだことは知ってはいたが、慌てて買いにいった次第。

でも、その前に、いっしょに買った『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集III-06 短編コレクションII』(河出書房新社、2010)。これに所収のミシェル・ウェルベック「ランサローテ」野崎歓訳(455-511)。これはウェルベックのエッセンスが詰まった一編。

冬休みを利用してカナリア諸島ランサローテ島に旅したフランス人の「私」がレズビアン(バイセクシュアル)のドイツ人カップルやベルギー人警官と知り合い、お互いに不自由な英語で会話したり一緒に島を巡ったり、セックスしたりしているのだが、モロッコ人の妻に家出されたベルギー人警官リュディは他の三人の作る輪に溶け込めず、先に帰国、ラエリアン・ムーヴメントに参加することに決めたとの書き置きを主人公宛に残す。そしてやがて、このセクトが起こしたある事件が話題になる、という内容。

フランス人の「私」がノルウェー人やイギリス人やドイツ人やベルギー人に対する悪態を心の中で呟くのはいかにもウェルベックらしい。小気味よい。ただし、そうした悪態は国民国家を前提にした外国人嫌悪というよりは、移民やEUの統合、グローバル化を前提として、その裏で、国というよりもむしろ、それより小さな社会という単位が成り立っていないとの不安を白人たちが感じているところから来るのだとの視点がそこにはある。典型的に現代的なのだ。次のような独白は、外国人嫌悪だと思うと痛快だし、現代的不安だと思うととてつもなく悲痛だ。

いずれにせよ私たちは、アメリカ合衆国が支配し、英語を共通語とする世界連邦という観念に向かってすみやかに前進しつつあるのだった。もちろん、馬鹿な連中によって統治されるという未来図には漠然と不快なものがある。しかしながら結局、そういうのはみな、これが初めてではなかった。(475)

そして、ラエリアン・ムーヴメントがランサローテに地球外生命体とのコンタクトのための基地を計画していると聞いた主人公の観測。

実際、もしいつの日か地球外生命体が登場するならば、ここはCNNのルポルタージュにぴったりの場所となるだろう。(484)

この現代社会の薄っぺらさ! その自覚がこの人の面白さのひとつだ。

2010年11月13日土曜日

コンセプトの大切さを思う土曜日

金曜の授業が捌けてから箱根に行ったのは、夏休みにおこなうはずだったゼミの学生たちとの旅行が色々あってずれ込んだということ。ともかく、箱根に行った。行った晩は軽く宴会をして、翌朝、ポーラ美術館を訪ね、「アンリ・ルソー バリの空の下で:ルソーとその仲間たち」を堪能する。ルソーが世紀転換期の変遷するパリを描いていること、そしてその時代のパリを覆う想像力が飛行機や飛行船と熱帯の猛獣にあったこと、ルソーの想像力がここに依拠していること(彼のジャングルはパリの植物園のジャングルだ)などが明示され、ついで、ルソーの同時代人や信奉者、ルソーが産み出した息子たちまで並べることによって、今度はその想像力の広がり、展開を示してみせた。ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1901)が流れていた。

常設展というか、ポーラ美術館の収蔵品もなかなかのもの。セザンヌ、ドガ、モネ、モジリアニ、ローランサン、トゥールーズ=ロートレック、ピカソ、フジタ、東山魁夷に岸田劉生まで。

とって返して高円寺。座・高円寺で燐光群『3分間の女の一生』坂手洋二作・演出。袖すり合うも多生の縁ということか、ご招待いただいたので、お言葉に甘えて。

30ばかりの場面がすべて3分間から成り立つ、というのが宣伝文句。しかし、ストーリーも3分という時間を巡って展開されるもので、実に発想の勝利というか、コンセプトが際立っていて面白い。1972年、カップヌードル発売の年に、ぴったり3分時計なしに計れる自分の能力に気づいた主人公くりた(竹下景子)が、同じくらい3分という時間にとりつかれたかおる(円城寺あや)と組んで「3分間研究所」というものを旗揚げ、「3分叢書」というシリーズの本ですっかり有名になるが、かおるは父親から暴力を受け、我が子を手放した記憶から、やがて怪しげなセクトのような活動を始め……という話。

クイア、家庭内暴力、幼児虐待、セクトのようなコミューン、代理母、普天間基地、等々、現代的なモチーフがこれでもかと贅沢に込められているけれども、それが嫌味にならないのは、人生において大切なものの持続時間は3分間、という前提条件にインパクトがあり、かつ説得力があるからだ。嘘か本当かわからないが、ナチスのガス室がガスを流している時間(つまり人を殺すのに要する時間)も、ジャンヌ・ダルクが火あぶりにされて死ぬまでも3分間、などと最初の方で吹き込まれれば、それも信じてしまいそうになる。本当なのだろうか?

余談ながら、時代を反映した冗談などが散りばめられていて、もう少し笑いが起こってもよかったかなという気がしないでもない。だって、竹下景子に向かって「3分の女王」だぜ! あの三択の女王に。竹下景子と言えば、ぼくは舞台で見るのは初めてなのだが、生で聞くと声が思っていたよりずっと良いという印象。ヴェテラン女優は伊達ではない。

そういえば、カップヌードルも3分。ということで、初日の特典としてカップヌードルをいただいた。腹が減ったのでこれを夜食にでも食べよう。

2010年11月11日木曜日

親とつき合うのも楽じゃない?

昨日の続き、昨日、その学生とメールでやりとりしていたというのは教授会の最中で、その教授会などで近年の受験生の動向、その行動規範などを統計から分析した話などを拝聴していたわけだ。入試科目が変わると受験者数が減る、とか、後期日程合格者は辞退者が多いとか、

……これが何のためになされた分析なのかは、今はどうでもいい。機密に関係することだし、多くは語らない。でもともかく、こういう分析、解釈を聞いていると何かが忘れられているような気がしてならない。学生……受験生たちの行動規範を理解するのに重要なひとつの因子が、すっぽり抜け落ちているように思うのだ。

親だ。

この人たちは、おそらく、ぼくたちが常識的に考えている以上に親に人生を左右されている。親の意見をあまりにも素直に受け入れすぎている。

本当は○○先生のゼミに行きたいんだけど、そんな世間不要の学を学んでいたのでは就職に不利だと親に言われるから、あんまり面白いとは思わないのだけど▲▽学の☆★先生のゼミに行かなければならない、というような主張をぼくは何度聞かされてきたことだろう。就職で内定を取ったのだけど、そんな名前も知らないところで大丈夫なの? と親が言うから、もう少しがんばる、とか……。オープンキャンパスでも、あまりにも漠然としたことしか質問できない高校生や受験生(それが当然のあり方なのだと思う)に対して、どれだけの親がいわばしっかりとした、しかし紋切り型で実際には杞憂に過ぎない質問をしてくるだろう? 

親が子を思う気持ちは、当然のものだ。それを否定はしない。だが、最大の問題は親たちは大学を、大学の学問を、会社を、会社の仕事を、たいていの場合、ほとんど知らないということだ。親だって大学を出ているかもしれないが、子供の行きたがっている大学のことを知っているとは限らない。子供の行きたがっている大学を知っていたとしても、その実情を知らない。知っているつもりであったとしても、それは親が学生だったころの実情であって、現在を知らない。親だって働いているだろうが、同じ業種、同じ職種とは限らない。人ひとりが生きてきて経験できたことなんて、自分の子供に対してすら当てはまらない程度の小さなものだ。

もちろん、ぼくが知り得た例もあまりにも少数の例だ。すべての受験生、すべての大学生にあてはまるかどうかはわからない。でも、それにしても学生たちの決断に際して親が引き合いに出されることが多いような気がする。それが気になる。親は敬った方がいい。でも親の意見は尊重する必要なんかない。意見を異にしても子供を認めてくれるのが親なのだから。

2010年11月10日水曜日

学生とつき合うのも楽じゃない?

いつだったか、1年生の授業が終わった時に、ある学生が話しかけてきた。外語祭の料理店の衣装として、スペインのサッカーのナショナル・チームのユニフォームのレプリカを作ろうと思う。ついてはお前もいるか、というのだ。(「お前」とは、もちろん、言ってないのだが)。で、お、頼むよ、と言ったら、今日いただいたのが、これ。名前は何にするというから、ホルヘだと言った。なにしろホルヘだ。Jorgeだ。あまりにもスペイン語らしい名前じゃないか。

ホルヘのユニフォームを押さえているカメラは、金曜にゼミの学生たちと箱根に行くことになったので、いつもより長めのレンズをカメラに取りつけてみた、そのカメラだ。いつもパンケーキ型単焦点40mmの小さなレンズをつけている身にしてみれば、これは大きい。タムロンの18-200mmという実に重宝するズームレンズ。その割りに短いのが売りだが、径が大きく、重い。

今日は怒濤の会議に次ぐ会議の日。会議の最中、やむを得ずPCを開いたら、学生からメール。うむ。この議題に比べれば、学生とメールでやりとりしていた方が気が和むやね。

今日、アマゾンからこんな本を薦められた。

2010年11月8日月曜日

追い立てられている

こんな夢を見た。

ふたつ前の夢(いつ見たのだったろうか?)で、ぼくには子供が託された。独りで住んでいるぼくのところに、かつての恋人だか現在の恋人だか、妻だか、元妻だか、あるいは同僚だかの女性が、生まれて間もない赤ん坊を託していった。この子はぼくたちの快楽の代償なのだから、喜んで引き受けようじゃないか、と言ったかどうかは覚えていない。そもそもそれがぼくの子だと言われたかどうかも確かではない。なにしろ夢の話だし、前々回の夢だ。

前回の夢で、色々とゴタゴタがあって、ぼくはその赤ん坊をちょっとの間、押し入れに入れておかねばならず、そうした。そして、そこに放置し、何日かが経った……らしい。細かいことは不確かだ。何しろ夢の話だし、前回の夢だ。

で、今回、ぼくはそのことを激しく後悔している。赤ん坊のおむつも替えなきゃいけないだろうし、何しろ放置したきり何日か(何日だろう?)経過しているのだから、無事に生きているかどうかも心配だ。心配なのだけど、怖くもある。怖いから目を背けたい。ぼくは押し入れを開けて見るより先に、ベビーカーや哺乳びん、おむつなどを求めて外に出た。

ぼくのアパートはよく似たふた棟からなっていて、仮にぼくが住む棟をA棟とするなら、B棟の管理人室周辺に、ぼくはいた。倉庫があって、そこにベビーカーがあるはずだった。入口に知り合いの女性たちがたむろしていた。女性たちがしかける世間話の罠を潜り抜け、ドアを空けた。倉庫だと思ったら管理人室だった。ベビーカーは? と問うと、隣の棟ですよ、との答え。夢の中でも、現実の世界でもそうだが、ぼくはこうして常に余計な迂回をしている。A棟に戻る最中、ぼくは自らを呪詛し、赤ん坊を気遣った。そんなことなら、最初から押し入れを空けてみればいいのだ。でもそうはしなかった。そして今、押し入れまでの道はあまりにも遠い。

赤ん坊が無事だったかどうかは知らない。何しろ夢の話だし、夢はそこで覚めたのだし。

夢は記録を残すなどしていると、望みさえすればその続きやあるいは同じような始まり方をする夢を見ることができる。赤ん坊は気になるけれども、ぼくはこの続きを見たいと望むのだろうか?

そもそもこれは、赤ん坊の生死に関する夢ですらないのだろう。さらに、こんな夢を見たのは、前日、次のような一節を読んだことと関連があるのかどうかもわからない。

……スーダンのヌエル族では、男性が独身のまま、あるいは子供を残さずに死んだ場合、近親者がその男性の所有していた牛の群の一部を用いて妻をめとることが認められています。(C・レヴィ=ストロース『レヴィ=ストロース講義:現代世界と人類学』川田順造、渡辺公三訳、平凡社ライブラリー、2005、90ページ)

2010年11月6日土曜日

学園祭など

国立駅の南口を自転車で通ったら、すごい人出だった。中央線は立川−国分寺間の運行を大幅に間引きしているというのに、すごい人出だった。ロータリーから一橋大学に向かう道路のあたりには種々の屋台も出ていた。何だろうと思ったら、案の定、一橋祭(いっきょうさい)だった。ロータリーに横断幕がかかっていた。

ふうん。さすがに一橋は国立の街全体を巻き込んでいるんだな、と感心したが、今ぼくは立川に向かっているところなのだからと、一橋祭には立ち寄らなかった。たいして興味もなかったし。ロータリーの別の側ではいかにもキャンペーン・ガールといった格好の女の子たちが、清涼飲料水だか菓子だかの名前で「○○大学」というフェアをやっているとかやっていないとか、そんなチラシを配っていた。なるほど、こうして企業も便乗だか協賛だかしているんだな、とふたたび感心。いや、実際、この大学外までの盛り上がりは、意外で驚きだ。

でも、ところで、さらっと流したが、ぼくはさして大学祭に興味がない。自分が学生のころ参加するためにそこにいた場合と、教師としておつきあいでそこにいた場合を除き、他大学の学祭にも一度も行ったことがないのだった。そしてそのことをさして引け目にも感じていない。感じるべきかな? よくわからないが、ともかく、学園祭とは無縁な生活。

だから「行ってみたい学園祭」なんてアンケートが成立することも、それに答える人がいることも、ぼくにとっては謎。ましてや、外語祭が3位に入るなど、謎のまた謎。あ、一橋祭は6位なのね。

ま、謎といっても、ぼくは何も学園祭を否定しているわけではない。きっと行けば行ったで楽しい。外語祭など、まあ、楽しい。たぶん。何年か前にこんなことを書いた人が、また翌年も行っているのだから、リピーターを作るほど楽しいのだろう。近隣に住む作家のOさんなど、学内の講演会でお話ししたときには、外語祭で酒を売るのをやめにしないでくださいね、と言ってから本題に入った。だから楽しいのだろう。きっと楽しいに違いない。ぼくも少なくとも月曜日には行きます。スペイン語専攻の学生たちの劇があるので。今年の外語祭は、今月の19日−23日。

ちなみに、上にリンクを貼ったニフティのサイトの記事は面白いというか、ほほえましい。

2010年11月4日木曜日

言葉の力

山崎佳代子さんの講演会「たゆたう世界」はぼくも関係している授業「表象文化とグローバリゼーション」の一環として行われた。

300人入る教室101で、まずマイクを使わずに詩を朗読することから始めた山崎さん、その後の講演はマイクを使い、外国語環境の中で母語(に近い言語)をかけることの効用、母語でなくても言葉を適切にかけることによって通じるコミュニケーションの例、などを挙げながら言語の大切さを説き、その言語における文学の存在意義を説いて力強かった。話すことと聴くことをきちんとすることから作られる教室という公共空間のことなども話され、おおいに感銘した1時間だった。

山崎さんはベオグラードに住み、あのNATOによる空爆の時代を生きてきた人。質問がその時代の暴力というよりはメディアによる情報操作、言葉による暴力についてのものに及ぶと、その時代にまさに、その時代を乗り切るためにダニロ・キシュを訳していたのだなどとおっしゃった時には、ちょっと呆然としてしまったな。涙のひとつも流していたかもしれない。

帰宅すると日本イスパニヤ学会の会報第17号が届いていた。ぼくがここに『野生の探偵たち』についての紹介を書いた号だ。表紙の「目次」には「ボラーニュ」と誤植があったけど。ぼくが書いたのは、以下のような文章だ。

訳者のとまどい
ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』柳原孝敦、松本健二訳(白水社、2010)

私はボラーニョや『野生の探偵たち』の面白みを十全に表す語をまだ見出せないでいる。

なるほど、その価値を文学理論や批評の用語をちりばめながらもっともらしく語ることは出来るだろう。『野生の探偵たち』の翻訳者(松本健二との共訳)として小説の3分の2ばかりを訳し、「あとがき」も書いた私は、その「あとがき」にそれらしいことを書いたはずだ。大学院の授業ではここ数年、連続してボラーニョの他の作品を読んでいる。『野生の探偵たち』のみならず、広くボラーニョの特徴というのもつかんでいるはずだ。でも彼がなぜこんなに面白いのか、それがうまく説明できないのだ。

「はらわたリアリズム」という前衛詩の運動の中心人物の足跡を、第1部と第3部ではその仲間になった17歳の少年の日記を通じて、第2部では50余名にものぼる関係者の証言を通じて辿るというただそれだけの筋の小説が、なぜこんなに面白いのだろう? 

私自身は映画における擬似ドキュメンタリーの手法との比較で価値づけてみた(「あとがき」)。野谷文昭さん(『日経新聞』書評)は二人の詩人の「危険で魅力的な旅の切なさと豊穣さにため息が出る」と評された。沼野充義さん(『毎日新聞』書評)は「貧血気味の現代文学への強烈なカンフル剤、いやちょっとした爆弾くらいの効果はある」と評価してくださった。都甲幸治さん(『読売新聞』書評)は「革命や詩に憧れながらも、革命家にも詩人にもなれなかったすべての人にも本作は捧げられている。それでもいいじゃないか。あのころの友情や夢は本物だったんだから」としてノスタルジーに訴えかける面白さだと言う。越川芳明さん(『図書新聞』書評)は「移民が常態と化し、国境がゆらぐ21世紀の現状を扱うこれからの若い日本の作家たちが目指さねばならない作品である」とグローバル化時代に対応するアクチュアリティに面白さを求めている。おそらく、こうした評価はどれも正しい。どれも正しいと言えるだけの豊かさがこの小説の強みには違いない。でもやはりそれだけでは、陣野俊史さん(『週間金曜日』書評)の「なんだろう、これ」という素っ頓狂な驚きの声に応えることができない。

私自身もこの小説を訳しながら、常に思っていた。なんだろう、これ。なんでこんなに面白いんだろう? わからない。でも、私が面白いと思う箇所は、いくらでも示すことができる。たとえば、次のような一節だ。

うつむきながらの作業で目は少しばかりかすんでいたな、チリ人は書斎の中を静かに歩き回っていて、私はただ彼の人差し指と小指の音だけを聞いていたんだが、やれやれ、たいそう器用な奴でね、私の分厚い本の背をさっと指で撫でていくんだが、肉と革の、肉と紙の擦れる音がして、これがまた耳に心地よくて、夢を見るのにちょうどいい、きっと私も夢見る態勢になったに違いない、というのも、いつの間にか目を閉じた(その前から閉じていたのかもしれない)と思ったら、サント・ドミンゴ広場とそのアーケードが目に浮かんだからだ、……(上巻340ページ)

第2部のキーとなる人物アマデオ・サルバティエラが、「チリ人」ことアルトゥーロ・ベラーノ(小説全体の中心となる詩人)の来訪時の話をしている箇所だが、ここでアマデオは嬉しい酒を飲んで寝てしまい、昔の思い出を夢に見たと言っている。その夢の世界への下降のしかたが甘美だし、この後に展開される夢の内容も素晴らしい。でも何と言っても私が面白いと思うのは、( )内の一文だ。「その前から閉じていたかもしれない」。ただでさえ不確かな夢の話が、その夢さえ見たかどうか不確かだと、いったいいつから目を閉じていたのかわからないと、はぐらかされることになるのだからだ。

こうしたはぐらかしが、ボラーニョを読む楽しみの最大のもののひとつだと思う。しかし私はこれを何と呼べばいいのか、知らずにいるのだ。

2010年11月3日水曜日

記憶の不思議

自転車を買った。マンションの駐輪場に空きができたので。いや。そもそも一戸につき2箇所は確保できるという条件だったので、本来の権利を行使したまでのこと。

ともかく自転車を買った。そんなに高いものではない。むしろ安いものだが、一応それでも、6段変速。変速マシンなんて中学以来だが、ぼくが中学のときに比べて、はるかに洗練された変速機。で、買ってすぐ昼食後の散歩としゃれ込み、近くにあることはわかっているのだけど、歩いて来られる距離ではないし、さりとて車では休日は駐車場待ちがしんどいという公園まで行ってきた。

学部5年目と大学院修士課程の学生のころ、要町に住み、北区西ヶ原(地下鉄西巣鴨近く)の大学まで自転車で通っていたことがある。やがて盗まれてしまったのだけど、そのころは板橋の公園とか池袋、新宿あたりまで自転車で走って行っていたものだ。もう20年近く前の話。それ以後初めて、自転車を買ったわけだ。変速機つきだから、道路を走るときにはギア比を大きくしてスピードを出し、公園の中では3速くらいでゆっくりと、ちょっといい気になって蛇行したりしながら走った。

たのしー☆

そういえば、その20年くらい前に自転車を買う以前、大学時代のぼくは意識したわけでないけどジーンズをはいたことがなくて、自転車とほぼ同時期に、高校以来久しぶりにリーヴァイスの501を買ったのだったと、そんなことまで思い出した。しかも、そのジーンズ、さすがにしょっちゅう自転車に乗っていたものだから、またずれして早々とはけなくなったのだった。そんな忘れていた記憶を取り返しながら走っていた。

歩いていては絶対に来ないだろうと思われるスーパーで買い物をして帰った。

さ、「たのしー☆」なんて書いてないで、仕事に戻ろう。

2010年11月2日火曜日

1年先取りしてみた

ぼくは相変わらず根強い不信感をマイクロソフトに対して抱いている。結局のところ一番使用頻度が高いのはワードでありエクセルであるのだけど、それでもマイクロソフトは信用できないと思っている。とりわけOffice 2007、Office10とバージョンを重ねるにつれて使いづらくなるWordに対する不満はたらたら。

といいながら、早速Office for Mac 2011を買っているのだから世話がない。

だってWindows用よりMac用ははるかに使いやすいし、2007の改悪の影響も2008にはなかったし、アカデミック・パックだったらWord、Excel、Power Point、Outlook(前までEntourageというソフトだったのに)が込みで17,000円くらいなものだし……

でも、不信感を抱いているからこそ、2011によってついにOffice for Macも改悪の道をたどるのじゃないかとの疑心暗鬼があるのだ。とりわけ、Entourageを使っているぼくにとって致命的なことだが、Outlookと名を変えたそのソフトが劇的に悪くなるのではないかと。

結果、Office for MacはMacにやたら気を使った(媚びを売った? 範とした)仕上がりになっていると結論。

Outlookはメールとそれに対する返事の数々をひとつのスレッドにまとめて示し、まるでMailみたいだ。Wordは新規に開くとテンプレート集が示され、まるでPagesみたいだ。このテンプレート集、ぼくにはどうでもいい問題なのだけどな。でもいつか役に立つ日は来るだろうな。

Wordにおいて一番心配だったツールパレットの問題。かつてぼくが使っていたツールパレットの内容(フォントやポイント数、インデントなどの位置調整)は、今回リボンと呼ばれるツールバーの延長になり、収納と繰り出しができるようになった。意外にこれはいい。ツールパレットには検索、引用文献一覧、チェックなどの機能が割り当てられた。

一番面白いのは全画面表示機能。紙を寝かせて縦書きで書いていると、この機能を使ったときとても見やすくなる。ちょっと楽しい。

2010年11月1日月曜日

新たな批評言語の創出を目指して?

先週末の学会の懇親会で2度ほど話題にのぼった新聞記事があった。ぼくは読み落としていたので帰宅後、読んでみた。『朝日新聞』10月29日朝刊、13版17面『オピニオン』欄。「池上彰の新聞ななめ読み」のコラム。タイトルは「ノーベル文学賞 我ら素人にもわかる解説に」。もちろん、池上彰が書いたのだ。

言うまでもなく「ノーベル文学賞」というのはマリオ・バルガス=リョサのこと。彼の受賞決定後、新聞に掲載されたバルガス=リョサ紹介の文章のことごとくが、「我ら素人」にはちんぷんかんぷんで、これでは読む気にならない、ということを説いたもの。

いやあ、耳が痛いなあ。ぼくは引用されて批判された対象ではないけれども。批評の対象になっているのは、同業者。先輩たちだ。だから懇親会で話題にのぼるわけだ。こうした批評に対して、批評された側を党派的に擁護する気はない。でもだからといって、池上彰の言うことを受け入れるわけでもない。

たとえば池上は「バルガスリョサ氏の存在は、日本ではあまり知られていません」とことさら無知を装い、もっと知られるように専門家たちは努力すべきだと、そのためにやさしい解説をすべきだと言うのだが、彼が匿名で引用し批判している対象たちがバルガス=リョサの作品の貴重な翻訳者たちであることには触れようともしない。わずかに『緑の家』の翻訳文庫本があることはほのめかしているものの、これでは翻訳がどれだけあるのか、言い換えればどれだけ日本の出版界や読書界で認知されているのかを知らしめることはできていない。読んでもらうための第一歩を、彼自身示していない。

だいたい、ぼくは無知を装い知識人のジャーゴンを批判する知的カマトト戦略を信用していない。池上彰など、どう「我ら素人」の側に立っても、インテリであることを誰もが知っている人間が、そんなものを装って何になるというのだろうか? 大半の人間が仮にも大学に入学する時代に、あまりものを知らない大衆でござい、なんて態度が許されていいものだろうか? インテリならインテリとしてインテリたちの言語に対峙し批評してもらいたいものだ。もはやありきたりの紋切り型である知的カマトトの言語など使わないでいただきたいものだと思う。

ま、でも、確かに池上の言うことにも一理あるのだろうな。バルガス=リョサの小説の魅力を、短い新聞の記事で紹介するなど、至難の業だと思う。リアリズムだのナショナリズムだのフラッシュバックだの、等々といった語など使わずに的確に表現する。それが問題なのだろうな。

マリオ・バルガス=リョサはとても真面目な作家だ。真面目な作家だということはどういうことかというと……